1975年10月4日から日本テレビ系で放送された『少年探偵団 BD7』は、今年41周年を迎えます。毎週土曜日18時からの放送を、テレビの前で時めきながら待っていた、いたいけな少年少女たちは、今や40代後半から50代の妙齢になっていることでしょう。
温かく見守る明智小五郎に寄り掛からず、智慧と勇気を発揮し、怪人二十面相に立ち向かった逞しき7人の団員たち。淡く芽生えた初恋も、しょっぱい涙の味の失恋も、友情と団結の力に換え、謎を解き明かしていった彼ら、BD7!
個性的なキャラクターを好演されたキャスト諸氏は、当時いかなる役づくりを行ったのでしょうか? そしてスタッフ諸氏は、視聴者の子どもたちに何を伝え、託そうとしたのでしょうか?
本トークショーコンテンツでは、関係諸氏の貴重なご発言から、当時の企画秘話・撮影秘話などを、全国の『少年探偵団 BD7』ファンの皆さまへ詳細にお伝えいたします!
◎ゲスト(50音順)
加藤 寿 さん(第7・8話ゲスト主役 石垣青年役)
車 邦秀 さん(擬斗・怪人二十面相の部下役)
鈴木 清 さん(プロデューサー)
長坂秀佳 さん(脚本)
山添三千代 さん(BD7メンバー・秋吉めぐみ@マジョ役)
司会 今、皆さんに、40年前に放送された『少年探偵団 BD7』の映像をご覧いただきましたが、いろいろな思い出が甦ってこられたと思います。まず鈴木清プロデューサーからお訊きします。どのような経緯で“少年探偵団”を原作として選び、テレビ作品にしようとお考えになったのでしょうか?
鈴木 まず、こうして40年経って(当時子どもだった)ファンの皆さんと、こうして出会えたことに心から「ありがとう」を言いたいです。本当に感謝しています。あんまりカッコイイ経緯ではなくて、自分に(プロデューサーの役が)まわってきて…。実は“おこぼれ”なんですよ。最初はMさんというプロデューサーが、この作品をプロデュースすることになっていたんですが、彼は「昔ながらの古風な“少年探偵団”を継承していこう」と考えていたようです。しかしその考えが、どうも(広告)代理店や(テレビ)局の考えと、しっくり馴染まなかったらしい。それで(代理店とテレビ局側が)日本現代企画にいた僕にバトンタッチさせて、僕と制作の安田九二四四さんとで創ることになったわけです。何故、長坂(秀佳)さんに会うことになったのかは覚えていませんが、今はもう再開発で無くなってしまった渋谷の某喫茶店で、長坂さんと会ったんです。
長坂 (その喫茶店で)眠ってたのは、あのときか? いや、階段上がって行ったらね、鈴木清が疲れて、もう一人とうつ伏せて眠ってたんだよ(笑)。
鈴木 (笑)。そこで長坂さんと会って企画がスタートするんだけど、今まで(日本現代企画が)やってきた作品(バロンシリーズ)が否定されたわけじゃなくて、「いかに“新しい”作品を創るか」ということで、あの(魅力的な子役の)7人を集めて、長坂さんと相談しながら進めていったわけです。
今、こうして作品を観ていたら、当時のいろんなエピソードが頭の中からガンガン飛び出てくる感じになっているんだけど、マジョ(山添三千代さん)はすっかり大きくなったけど、昔と変わらず魅力的な部分を持っているし、今もそれを持ち続けているように思います。ただ我々(当時30代だったスタッフ陣が)ジジィになっただけで、それはちょっと寂しい想いもありますけど。まぁ、いろんな思い出がありますよ。僕にとってはプロデューサーとして初めて創った番組なので、非常に思い出深いです。
作品の“題字”を書いてくださったのが、第8回江戸川乱歩賞を獲った戸川昌子さんだったけど、『少年探偵団 BD7』の脚本をお願いした長坂さんが(後年)江戸川乱歩賞を獲るなんて、その頃は誰も考えていなかったわけだからね。『少年探偵団 BD7』から14年後の第35回のときに、彼は(江戸川乱歩賞を)獲るんだけど、僕はそのとき、オーストラリアで『ウルトラマンG(グレート)』を撮っていて、お祝いに行けなかった思い出があります。『少年探偵団 BD7』は、僕にとってある部分「核になる作品」だったと思います。
長坂 俺もさっき(『少年探偵団 BD7』を)観ててさ、戸川昌子と俺の名前が(OPテロップで)並んでるのを見つけて「面白いなぁ」と思った(笑)。
鈴木 拍手!(皆に拍手を促す)
(場内一同、笑いながら拍手。長坂氏、照笑い)
鈴木 このひと、(江戸川)乱歩賞作家ですからね。
長坂 忘れられてるだろうけど(苦笑)。どうせ(司会者から)後で訊かれるだろうから(鈴木氏と)出会ったときの話をする。渋谷の喫茶店で鈴木清と会ったときは、この作品(『少年探偵団 BD7』)じゃなくて、もっと前に別の作品を一緒にやってたと思ってたんだけど、今、話を聞いてたら「ああ、確かにあの時、鈴木清は喫茶店で寝てたなぁ」って思い出した。
江戸川乱歩は昔から大好きだったから「(『BD7』の企画は)面白い」と思ったけど、この作品を引き受けるにあたって条件があった。(乱歩が執筆していたその時代と)現代を比べれば、内容が全部旧くなっちゃってるわけだから、それを全部新しくすれば、絶対面白くする自信があったんだけど、絶対的な条件として「必ず前後編にしてくれ」と。前後編にすれば、何時台の放送でも視聴率を獲る自信があった。それは「謎で(視聴者を)引っ張って“来週楽しみに後編を観る”という習慣を視聴者につけさせる」こと。それまで(夜)6〜7時台ではそういう番組がなかったから、どうしても(前後編で)やりたかった。俺たちが子どもの頃、毎日楽しみにしてた紙芝居は、『黄金バット』とか、何だかつまんない話だったんだよ!
(場内爆笑)
長坂 それで、(紙芝居の)何が面白いかっていうと「(物語が)明日につづく」っていうのが、俺たち(1930〜40年代生まれの)子どもにとっては物凄く楽しみだったわけ。だから30分の子ども番組で「絶対来週も観るぞ!」という気持ちにさせることが出来れば、視聴率は獲れる。それで「(『少年探偵団 BD7』は)前後編でつくること」を(脚本を引き受ける)絶対的な条件にした。もうひとつ(映画「男はつらいよ」の)「“寅さん的片想い”を必ず入れる」という条件も付けた。そうしたら鈴木清が全部OKしてくれたから、あとは(BD7)メンバー(のキャラクター設定)を創っていくだけだった。でも前編書いて、それをどうやって後編に繋げるかをやってたら、途中から単編になっちゃった(笑)。
(場内爆笑)
長坂 この作品で一番憶えてること。第1・2話で物凄い謎を創って、それを最終回(第26話)の“どんでん”にしようと思った。「これどうなるの?」って訊かれたから、(鈴木氏らに)話したら、そのラストの“どんでん”を、第3・4話で別のライターが(彼の担当脚本の中で)すぐ使っちゃったんだよ。それで「この野郎!」って思って、また別の“物凄い新しい謎”を創って。(鈴木氏から)「この先どうなるんだ?」って訊かれたから、また「こうなるんだよ」って話したら、別のライターが(自分の担当脚本でまた)その謎を自分のストーリーにしちゃった!
(場内爆笑)
長坂 俺はもう絶対奴を許せなくて、第9・10話のときだったか、また“新しい謎”を創ったんだけど、また(鈴木氏と別のライターから)「その先どうなるんだ?」って訊かれたから、そのときは「さあね!」って答えておいた。
(場内爆笑)
長坂 さっきから映像を観てて、細かくは思い出せないけど、部分的に思い出すことはいっぱいあるし、好きな話(エピソード)も沢山あるけど、俺が一番印象深いのは、プロデューサー(鈴木氏)が喫茶店で寝てたことと、(番組を)前後編にしたことと、別のライターに(こちらが考えた)謎(のアイディア)をそっくり持っていかれたってこと(笑)。
司会 なるほど、それで第10話以降は単編になったわけですね。
鈴木 そうそう。だから(長坂氏が)“その先(後編にちりばめられた謎)”を話してくれなくなったから、前後編じゃなくなったのよ(笑)。
長坂 さっき席で岩佐(陽一氏)とも話してたんだけど、俺は本当はずっと前後編でやりたかったんだよ。それをある時、いきなり「前後編をやめる」って(鈴木氏から)言われたとき、「あれは絶対、別のライターのせいだ」と俺は思った…と。まぁ、そういう話があったということです(苦笑)!
(一同拍手)
司会 どうもありがとうございました。それでは次は、マジョ役の山添三千代さんにお訊きしていきます。役が決まるまでの経緯についてですが?
山添 普通にオーディションで選ばれました。同じくらいの年齢の女の子たちが集められて、(当時、狛江市内にあった)日本現代企画へ(オーディションを受けに)行ったのを憶えてます。
司会 私たちファンからすると「BD7の他のメンバーは、今どうしているのかな?」というところが気になるのですが、山添さんと今も旧交を温めているメンバーはいらっしゃいますか?
山添 残念ながら、今はひとりもいません。番組が終わってから1〜2年は、一部の子たちと連絡を取り合ってましたけども。
司会 因みに、その方はどなたでしょうか?
山添 トンボ君(辻辰行氏)かな? 彼はいつも(撮影)現場へお父さんと来ていて、番組終了後もうちの店(当時「焼肉 山添」)へ結構来てくれていたので。
司会 小林良雄団長役の黒沢浩さんと、もし会えたら…?
山添 それはもう感動でしょうね(笑)。もし今も(BD7メンバーの)みんなと連絡を取り合えていれば、直接私からみんなへ「BD7のオフ会が開かれるから来ない?」って、電話したんだけど(笑)。
司会 もしも今回のオフ会がきっかけになって、次の機会に皆さんが揃って集まったら「俺たちは“中年探偵団”だ!」なんて言って、楽しい集まりになるかも知れませんね。
山添 ウフフフ…(笑)。
司会 それでは次は、車邦秀さんにお訊きします。先ほどお隣のお席で一緒に映像を拝見していましたら、車さんが「このロケ地はあそこだ」とおっしゃって、かなり鮮明に撮影場所をご記憶のご様子でした。
そうですね〜。その当時は時代劇から現代劇までやっていて、しょっちゅういろんな現場へ行くことが多かったものですから、一目見れば「あっ、あそこだ!」って分かります。殆どの(出演)番組で使われていた場所(ロケ地)は、特に憶えていますね。
こういう子ども番組で、僕が初めて正式に殺陣師をやったのが『少年探偵団 BD7』だったんです。それまではバロンシリーズの2つの作品(『レッドバロン』『マッハバロン』)で、ロボット(の着ぐるみ)に入ったり、顔出しで出たりしていました。僕はこの番組で鈴木清さんに殺陣師に抜擢していただいて、それをきっかけに『(小さなスーパーマン)ガンバロン』でも殺陣師をやりながら、ガンバロンの着ぐるみに入ったりもしました。その後ウルトラシリーズ(『ウルトラマン80』『ウルトラマンコスモス』など)の殺陣師として続いていくわけです。
鈴木 “鈴木(清)さん”には恩があるんじゃないの〜?
(場内爆笑)
そうですね、ありがとうございます(笑)!
鈴木 その頃、車ちゃんは年の暮れになると、僕が欲しがっていた日本酒を送ってくれたね。今はそんなの送ってくれないけど。
(場内爆笑)
加藤 今年は車さん、(鈴木氏にお酒を)送るよね(笑)?
僕も仕事で(日本)刀を扱っている以上、武士(もののふ)の魂を少しは持っていると思いますので(苦笑)。
鈴木 僕が初めての時代劇『子連れ狼』(第1シーズン)でキャメラマンをやることになったとき、何も分からなかったんだけど、彼(車氏)が(日本刀や所作などについて)色々と教えてくれてね。だから彼は僕の師匠です(笑)!
いやいやいや(笑)。今でも毎週日曜日、道場で真剣(日本刀)を持って稽古をつけているんですけど、本物(の刀)をもつと、やはり精神的にも違ってきますね。
鈴木 人を斬っちゃダメよ(笑)。
(不埒な人物を見たら)時々斬りたくなりますが、藁を斬っています(笑)。道場には刀が沢山ありますので、僕に電話をくだされば、真剣を使わせますよ。お稽古で藁を斬れば気分転換、ストレス発散にもなりますよ。
司会 車さん、ありがとうございました。次に加藤寿さん。多くの特撮作品でヒーローのスーツアクターや顔出し出演をされた、稀有な存在の加藤さんですけども、先ほどご覧いただいた(『少年探偵団 BD7』)第7・8話の中では吊られるシーンがありました。今はワイヤーアクションなどもありますが、当時はどういった感じの撮影だったのでしょうか?
加藤 なんだか宙に浮いて楽しかったですよ(笑)。でもその時「(ワイヤーが)千切れないかなぁ」って、車さんに言ったりしました。もちろん冗談ですよ。私は車さんを信頼していましたから。私は円谷(プロ)系統や日本現代企画の作品で育ちましたし、鈴木清さんたちにお世話になってきましたし、生意気な言い方ですけどもスタッフの方々に対しても友人感覚でしたから、(危険が伴う撮影は)少しも心配していなかったです。
先ほど長坂先生から「前後編で、ストーリーで魅せて引っ張る」というお話がありましたが、そのときは長坂先生のお考えも知らず、「前後編だからギャラが2本分出る!」と単純に喜んでいたと思います。
(場内爆笑)
加藤 まぁ、それは半分冗談ですけども(笑)。私は日本現代企画の皆さんに育てていただいたみたいなものですから、今日は鈴木清さんたちに再会できて、とても嬉しいです!
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