遡ること43年前の1971(昭和46)年11月、伝統ある“タケダアワー”(TBS 日曜19時枠)への復帰を果たしたヒーローは、かの“ウルトラ”ではなく『シルバー仮面』だった。硬質な人間ドラマと特撮との融合に立脚した、重厚な作品づくり。当時としても異色だった“星人 対 等身大ヒーロー”を描くコンセプトは、まさにそれに起因する。
大人気を誇る円谷ヒーロー“ミラーマン”の向こうを張り、登場した“シルバー仮面”。彼は、雄々しき西洋の鉄仮面を意匠モチーフとして肉弾戦を展開する生々しいヒーローであり、のちに(第11話)光子エネルギーを浴び巨大化する“シルバー仮面ジャイアント”(以下“ジャイアント”)も、変身前の春日光二のナイーヴさを体現するかのように、そこはかとなく“生身の人間”を感じさせた。
その殆どのシーンを演じた名スーツアクターが、ご存知“加藤寿氏”。宣弘社作品・日本現代企画作品を語るうえで、避けては通れないキーマンのお一人だ。今回、加藤寿氏は(スーツアクターとして)初主演作である『シルバー仮面』の知られざる撮影エピソード群について、余すところなく語ってくださった。本邦初公開、加藤寿氏インタビューをご堪能あれ!
−−加藤さん、本日はどうぞよろしくお願いします。『シルバー仮面』放送からもう43年が経ちましたが、DVDやブルーレイ、この度の「シルバー仮面フォトニクル」発売からも明らかなように、今なお様々な世代のファンの方々に『シルバー仮面』が愛されています。

加藤)もう驚きですよね(笑)。ただ、どこまで当時の事を憶えているか自信がないですけども…。

−−ご記憶の範囲内でよろしくお願いします(笑)。まず加藤さんが、日本初のスタントマングループである“若駒冒険グループ”に入団されたきっかけは?

加藤)(高校を卒業してから)サラリーマンを2年ほどやっていたんです。何となく「自分はサラリーマン向きじゃないな〜」と思いつつ、スタントマンについて見聞きしているうちに「スタントマンになりたい!」と思うようになったんですね。ある知り合いの飲み屋さんに、NHKのディレクターが出入りしていたのですが、そこの店主さんが「俺がディレクターを紹介してやるよ」とおっしゃってくれて(笑)。
ただ、その当時日本ではまだ“スタントマン”という職業が確立されていませんでしたので、(NHKディレクターからは)「(スタントマンは)殴られたり蹴られたりだから、あんまり勧められないけども。それでもイイの?」と言われました(笑)。私は最初から演技など考えたこともなかったので。ただスタントマンとしてやっていけそうな身体能力だけは持っていると思いましたし、何より「(アクションの現場は)楽しそうだな〜」と思ったものですから(笑)、“若駒冒険グループ”(以下“若駒”)を紹介していただきました。
NHKディレクターからは「毎週稽古をやっているから、それを見学してから(入団を)決めれば?」と言っていただき、稽古場を見に行き、現場で入団を決めました。

−−身体能力に自信をお持ちだった加藤さんは、学生時代、どんなスポーツを得意としていらしたのですか?

加藤)陸上競技…特に棒高跳びをやっていたんですが、バレーボール部や水泳部にも、いい加減に遊びに行っていました(笑)。決して「特定の競技一筋!」というタイプではなかったですから。

−−色々な部を股にかけてご活躍だったんですね(笑)。先ほど「サラリーマンを2年」というお話が出ましたが、差し支えなければどんな職種かお教えいただけますか?

加藤)俗にいう“自動車のディーラー”で、(『レッドバロン』坂井哲也のような)セールスマンではありませんでした(笑)。主に部品の管理などをしていました。

−−なるほど。その後、NHKディレクターさんとのご縁があって“若駒”に入団された加藤さんですが、その時期はいつ頃になりますか?

加藤)はっきりは憶えていませんが、多分昭和46(1971)年の前半だったと思います。

−−そうしますと、『シルバー仮面』が昭和46年11月28日放送開始(同年11月4日クランクイン)ですから、“若駒”に入団されてすぐに番組レギュラー決定…ということになりますか。

加藤)そうですね。それまでテレビの現場には何回か出たことはありましたが、殆ど経験がないうちに入団数カ月目に(『シルバー仮面』の)レギュラーが決まったという感じですね。たまたま(求められていたシルバー仮面の)体型…プロポーションに合致したのではないでしょうか?
その頃“若駒”は時代劇への出演が多い時期だったんですよ。時代劇は本当に難しくて、私はどちらかというと現代劇の方が好きで、「自分の身体能力が活かせるのは、時代劇より現代劇かな?」と思っていたので、(『シルバー仮面』出演のオファーは)嬉しかったですね。
−−そしていよいよ日本現代企画の狛江スタジオで撮影が始まるわけですが、等身大“シルバー仮面”(以下“シルバー”)のマスクとスーツを身に着けてみて、いかがでしたか?

加藤)円谷プロさんには申し訳ないですけども、「ウルトラマンのマスクよりシルバーの方がカッコいいなぁ!」と率直に思いましたね(笑)。

−−シルバーのデザインは西洋の“鉄仮面”がモチーフだそうですが、かなり洗練されたデザインで、これを凌ぐデザインはなかなか創造できないと思います。

加藤)そうですね。“ジャイアント”の(マスクの)構造も、基本的に“シルバー”と変わっていませんでしたね。ただスーツが風通しのよいラメ生地から、途中ウェットスーツに替わりました。

−−ラメ素材の生地は、その当時外国で開発された特殊な製品だったようですが、“ジャイアント”や翌年の“アイアンキング”のスーツと比べてのご感想は?

加藤)もうね、ラメ生地の方が着易いし、通気性はいいし、動き易いし(笑)。

−−『帰ってきたウルトラマン』のスーツアクター・きくち英一さんから直接お聞きしたことがあるのですが、撮影が終わる頃には、ウェットスーツ内の膝あたりまで汗が溜まって大変だったそうです。

加藤)そうですか(笑)。“ジャイアント”の中もやっぱり暑かったですね。ウェットスーツはプールだとか水中で着ると(涼しくて)丁度よい(着心地)ですが、陸で着ると暑くて堪りませんね。

−−“シルバー”マスクの片目部分には、発光バルブが仕込まれていたそうですが、視界や呼吸の確保はいかがでしたか?

加藤)“シルバー”“ジャイアント”ともに呼吸の確保は大丈夫でしたが、視界の確保は大変でしたね〜(苦笑)。特に(マスクを被ると)“上下の視覚”がすごく狭いんですよ。

−−“ジャイアント”では劇中ときどき、微妙に首を上下に動かす動作が見られたのですが、あれは“上下の視覚”を確保するための動作だったのでしょうか?

加藤)自分では意識していなかったんですが、おそらく無意識に“上下の視覚”を確保しようと、もがいていたんでしょうね(苦笑)。身体の向きによっては(敵星人の着ぐるみが)全然見えないんです。
自分でも映像を観て「何でこんなに首を傾げたり、変な恰好をしているんだろう?」って思ったのですが、マスクの目部分に開いている穴と、実際の自分の目とを合わせようとしていたんです。

−−ご苦労お察しします。インタビューの最初の方で、加藤さんから「体型が合致したからレギュラーに決まった」旨、お話がありました。加藤さんに、小坂生男さん・久保田鉄男さんを加えた3人体制で、“シルバー”変身態を演じていらっしゃいます。

加藤)そうですね。多分最初の頃は、久保田(鉄男)さんが演っていたと思います。

−−撮影会のスチル写真で、「春日兄妹とともにチグリス星人に立ち向かう“シルバー”」という構図の一葉があります。これは久保田さんでしょうか?

加藤)そのスチルを見れば、たぶん足の形で分かるかと思いますが。

−−再度お訊きしますが、どうして加藤寿さん・小坂生男さん・久保田鉄男さんの3人“シルバー”体制になったのでしょうか?

加藤)その辺りは誰が決めたのかよく分かりません。誰かが私の体型の方が、イメージが“シルバー”に近いと判断されたのかも知れません。

−−久保田さんは筋肉質でいらっしゃるので、(変身前の春日光二との対比から)スマートな“シルバー”を意図したのであれば、手足が細く長く、キックの足が高く上がる加藤さんが、適任だったような気がしています。

加藤)その辺は自分ではよく判りませんが(笑)。

−−加藤さんが“シルバー”を演じていらっしゃらないエピソードでは、現場で別の役割があったのでしょうか? 例えば加藤さんが敵宇宙人の着ぐるみに入られたりですとか?

加藤)(当時)色々な仕事であちらこちらの現場へ行っていましたから、おそらくそういうことはなかったと思います。私が一番長く(“シルバー”と“ジャイアント”のスーツに)入っていましたので、私が何かの用事で入れない時に、何回か代わりに小坂さんが入ってくださったと記憶していますね。

−−その際に、加藤さん・小坂さん・久保田さんのお三方の間で、スーツアクターそれぞれの癖を排除して、アクション(キャラクターの動き)の統一性を図るような何らかのお話し合いをされたのでしょうか?

加藤)(スーツアクター同士で同一の役について)話し合うことはなかったと思いますね。もし統一性を図ろうとしたなら、(殺陣師の)高倉(英二)さんが「このシーンではこのパターンでいってみようか」と提案してくださることによって、(スーツアクター3人が同席しない形で)動きを合わせることはあったかも知れません。
−−宣弘社作品や日本現代企画作品で大活躍された、殺陣師の高倉(英二)さんとは、どんな方でしたか? 『アイアンキング』メイキングのスチルには、マッチョなボディをタンクトップに包んでサングラス姿でキメた、鬼教官のような高倉さんが写っていらっしゃいました(笑)。

加藤)(笑)。かなりの空手の有段者ですし、男っぽい感じで、やっぱり厳しくて怖い方でしたよ。私にとって、高倉さんと(“若駒”の創始者)林(邦史朗)さんは、お師匠ですからね。“絶対服従”(を強いられたなど)ということはなかったですけれども、やっぱり(高倉さんの指導は)厳しかったですね。
高倉さんから無理難題を言われることは特になかったのですが、(『シルバー仮面ジャイアント』の) 何話かの撮影の時に、高い台を組んで、そこから前方宙返りから着地をするシーンがあったんです。仮面を着けていなければ何てことのないシーンだったのですが、“ジャイアント”の仮面を着けていましたので、天地の感覚といいますか、自分がどこにいるのか全然分からなくなったことがありました(苦笑)。体操選手のやるようなことを目を瞑って演るようなもので、「どこで着地すればいいんだろう?」と考えながら、数メートルの高さから飛び降りました。
“ジャイアント”のスーツは伸縮性がありませんから、アクションをしていると身体のどこかが引っ張られるような感覚になるんです。回転しようと思ってもスーツが伸びないので、関節の所が十分曲がらない。ゴムの反作用のように反対側に引っ張られて、身体が思うように動かなかったことはよくありましたね。

−−仮に加藤さんが脚を高く上げるキックのシーンがあったとして、スーツの中で首・肩・背中・手・肘・腰が、ゴムか何かで引っ張られるような感覚に襲われる…という例えでよろしいでしょうか?

加藤)そう、丁度そんな感じですね。キックのシーンにしろ何にしろ、普通の芝居(静止状態で敵と対峙するシーン)と違って、アクションは(瞬発的に)大変なパワーが要りますよね。とにかく(『シルバー仮面ジャイアント』の現場は)大変パワーが要る現場でした。

−−第1話でチグリス星人が登場しますが、その着ぐるみには戸知(とち)章二さんという方が入っていらしたと聞きます。故.実相寺昭雄監督の著書(『ウルトラマン誕生』)によると、戸知章二さんが火傷を負ってしまわれたとありますが…?

加藤)「誰かが火傷をした」という話は、当時誰かから聞いたかも知れませんが、私はその時の記憶が殆どなくて…。おそらく(火傷事故が起きた回が)私が演じた回ではなくて、私がその現場に居なかったからだと思います。
星人(の着ぐるみ)の中には、“若駒”のメンバーも入っていましたが、その他のアクション系事務所の方々も入っていたかな? あの頃は確か、“若駒”の林(邦史朗)さんを中心に、いくつかのアクションチームがあったと思います。私は(“若駒”に)入ったばかりでよく分からなかったのですが、多分(様々なアクションチームが“若駒”と)業務提携していたのかも。純粋な意味で“若駒”ではない方々も(『シルバー仮面』の)現場にいたかも知れません。

−−そうだったんですか。裏番組の『ミラーマン』に視聴率的に圧されてしまい、制作サイドでは2クール目を待たず“シルバー巨大化”という路線変更に着手します。

加藤)そうですね。今では“スーツアクター”という言葉でカッコ良く呼んでいただけますが、その当時は誰が(“シルバー”や“ジャイアント”の)中に入っていても、何かが大きく変わるようなこともありませんでしたし。「同じような体型で(スケジュールが)空いている人が中に入ればイイよ」みたいな (大らかな)ところがありました。

−−初期の“シルバー”が星人との肉弾戦が多かったのに比べ、“ジャイアント”はシルバーサーベル・鞭・シルバージャック・分銅・斧などの、多種多様な武器を用いるようになりました。ご苦労された点は?

加藤)そういえばそうだったかな〜(笑)。その辺りよく憶えていなくてですね、武器を使うことで殺陣が大きく変わることもありませんでしたし…。ただ、先程もお話しした通り、(アクション中)殆ど視界が確保できなかったことだけは、今でも鮮明に憶えていますね(笑)。
撮影中の大きな怪我はありませんでしたが、視界が覚束なくて足元が見えなかったからでしょう、一度大きな捻挫をしてしまいまして、あれは痛かったです。足首が腫れて(“ジャイアント”の)ブーツが脱げなくなってしまって、戸知(章二)さんが鋏で切って脱がせてくれたような憶えがあります。
−−“シルバー”から“ジャイアント”に代わり、アクションに何らかの変化を持たせてみようだとか、思われましたか?

加藤)私自身は特にそういう風には考えていませんでした。この世界に入って、まだ何カ月も経っていない状況でしたから、多分そこまで思いが廻(めぐ)らなかったんだと思います(笑)。

−−撮影スケジュールはその日によって異なり、起床・就寝時刻も極めて不規則だったと思いますが、『シルバー仮面』撮影の頃の一日のスケジュールは?

加藤)(スーツの中に)入っている時間はそんなには長くないです。とても暑かったので、休憩時間は上半身スーツを脱いでいました。そういえば何故か(アクションシーンの)撮影は、夜遅かったですね。特に“ジャイアント”になってから、町並や山のセットが沢山必要になって、(スタッフが)それを作ってセッティングするまでの時間がかかるようになったから、夜遅くなったんでしょう。

−−この度発売される“シルバー仮面フォトニクル”にも収録されているようですが、加藤さんが(上半身ではなく)“ジャイアント”のマスクのみを取り外した状態で、修学旅行生と思しき小学生たちと談笑しているスチルがあります。ウェットスーツは頭部まで続いていて、頭髪を露出させないような構造になっていました。

加藤)へぇ〜、そんな写真があるんですか(笑)? 全然記憶にないです。

−−日本現代企画・狛江スタジオ跡を探訪する際の事前調査で、撮影所のごく近所に“清水湯”さんという銭湯があったことが判明しました。『シルバー仮面』撮影の頃は、撮影所内に浴槽やシャワーがあったのでしょうか?

加藤)私は銭湯へ行った記憶は殆どないですね。スタジオ内にシャワーだけはあったような気がします。食事はスタジオの周りに食べ物屋さんが何軒かあったのと、スタジオの前にお茶や洋食を出してくれるお洒落なお店(ビュフェfunny“ファニー”)があって、そこでよく食べた記憶があります。

−−連日のアクションシーン撮影では大変なカロリーを消費されたと思いますが、撮影終了後、お疲れになって食欲が減退されたり、それともお腹が空いて堪らなかったり…ということは?

加藤)いえ、普通に食べてましたよ(笑)。

−−“シルバー”と“ジャイアント”の殆どのシーンを加藤さんが演じていらっしゃる訳ですが、通しでご覧になって、特に印象的なエピソードはありますか? 卒塔婆で星人を殴ったり、世田谷区喜多見商店街と思しき場所で星人を追い掛けたり…というエキセントリックなシーンもありましたが。

加藤)正直言いまして、殆ど憶えていません(苦笑)。ただ、亀石(征一郎)さんや柴(俊夫)さんとお話ししたことは憶えています。

−−弟妹役で篠田三郎さんや夏純子さんも出演していらっしゃいました。

加藤)ね〜(笑)。今思うと、かなり錚々(そうそう)たるメンバーが出ていらした。ベテランや売り出し中の若手の方々が出ていらしたので、(アクションシーンの撮影より)そういった方々とお話ししたことの方をよく憶えています。「子供番組なのに、こんなに有名な人たちが沢山出てるんだ」みたいな(笑)。

−−のちにバロンシリーズで加藤さんと共演される、玉川伊佐男さんや岸田森さんも出演していらっしゃいました。

加藤)凄いメンバーでしたよね〜。狛江スタジオはとても狭かったので、私は(『シルバー仮面』)キャストの皆さんと控室が一緒だったんです。亀石さん、柴さん、篠田さん、夏さんとは特によくお話ししましたね。世間話だったり、よもやま話だったり。当時、私はまだこの世界に入ってから何カ月も経っていませんから、役づくりについて話す(レギュラーキャストの)皆さんの話が、まだよく理解できていなかったかも知れません。
ただ(柴さんが変身前で、自分が変身後だったので)柴さんとは、(春日光二と“シルバー”の役づくりを)どういう風にしようかと、話した憶えはあります。

−−最後に、本放送から43年が経ってなお高い人気を誇る『シルバー仮面』のファンの皆さん、今回“シルバー仮面フォトニクル”を購入予定の皆さんへのメッセージをお願いします。

加藤)こんなに永い間、番組を愛し続けてくださるファンがいらっしゃることが驚きですし、皆さんそれなりにお歳を召されたとは思いますが、今も(『シルバー仮面』放送時と)同じ気持ちを持ち続けていらっしゃることに敬意を表します!

−−本日はありがとうございました。

2014年10月2日 電話インタビュー
取材・構成◎「こちら特撮情報局」奥虹

加藤 寿(かとう ひさし)

俳優 『スーパーロボット レッドバロン』坂井哲也役、『スーパーロボット マッハバロン』白坂譲司役
高倉英二に師事、若駒冒険グループ(現・若駒)に所属、高倉が殺陣師を務めた『シルバー仮面』(1971年)、『アイアンキング』(1972年)でヒーローのスーツアクターを務める。その後『スーパーロボット レッドバロン』にて主人公以上のアクションを身上とするSSI(エスエスアイ)隊員・坂井哲也役を好演、翌年『スーパーロボット マッハバロン』にもKSS(キス)隊員・白坂譲司役にてスピンオフで登板。『少年探偵団』(1975年)のゲスト(♯7〜8 石垣和也役)を含めれば、5作品連続で日本現代企画作品に出演する快挙を成し遂げた。
以後、日活出身の名匠・長谷部安春監督作品に多く出演。特撮作品では『トリプルファイター』(1972年)のケリー岩崎(♯13・26)、『忍者キャプター』(1976年)の甲賀かげさそり役(♯37)で客演している。
シルバー仮面フォトニクル
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