名優(怪優?)大月ウルフ氏との邂逅は1997年春であるから、今から18年も昔のことになろうか。当時『愛の戦士 レインボーマン』同人の末席にいた編者は、同作品に登場する大月ウルフ氏の“電流人間(スパークマン)エルバンダ”と、故曽我町子女史の“魔女ゴッドイグアナ”の怪演にいたく魅了されていた。
おそらくは、拙いながらも肉筆で「俳優・大月ウルフ氏の怪演(役づくり)の秘密について取材させていただきたい」と綴った、奇妙な特撮ファンからの手紙に好奇心を抱いていただけたのだろう。そうでなければ、1940年代前半にまだ幼気(いたいけ)な小学生であった大月ウルフ少年の疎開先(伊豆市天城湯ヶ島町・落合楼)が、編者の実家から近距離であったことが幸いし、“60〜70年前の多感な少年時代の住処”に“懐古の情”を想起していただけた所為なのかも知れない。奇しくも天城湯ヶ島町では、『レッドバロン』第9話で広範なロケが行われている(浄蓮荘湯ヶ島坑など)。
ともかく大月ウルフ氏からお電話にて、「吾輩にインタビューしたいという変わった御人はお前さんかね(爆笑)?」という第一声とともに取材のご快諾をいただき、2009年の“宇宙船”誌(VOL.124)大月氏インタビューより12年先駆けて、1997年春、様々な貴重なお話を伺う光栄に恵まれたのだった。その際『レインボーマン』怪人エルバンダ役、『大鉄人17』ハスラー教授役、『仮面ライダースーパー1』ヘンリー博士役、『五星戦隊ダイレンジャー』大僧正リジュ役等など、個人的に想い入れ深いキャラクター群の役づくりについて大月氏にお訊きできたものの、『レッドバロン』第36話登場のジョージ役については不勉強で、お訊きすることが出来なかった(※ 編者は大郷ボス・堀大作隊員の殉職に激しく落胆し『レッドバロン』第27話以降を視聴しておらず、大月氏演じる“ジョージ隊員”の存在を知らなかった)。
巡り巡って、今回『レッドバロン』関連ページ作成にあたり、18年ぶりに大月ウルフ氏にジョージ(偽SSIアメリカ本部隊員。その正体は宇宙吸血鬼・ドラキュマン)について、お訊きできる運びとなった。都内某所にて、18年前と変わらない柔和な瞳と笑顔、シルバーの長髪・口髭・顎髭、そしてあの地面がビリビリと震動しそうなお馴染みの“通るお声”で、我々バロン取材班を迎えてくださった大月ウルフ氏。ご多忙のなか、本当にありがとうございます! でも今回のインタビュー取材も18年前同様、凄いことになりそうな予感…(笑)。
大月氏が、恩師である世界的ダンサーの故.伊藤道郎氏(ジェリー伊藤氏は次男、千田是也氏は弟)からいただいたという、昭和初期の(?)小型スクリーン(SAKURA製)を張り、DVD『レッドバロン』第36話「国際本部から来た男」を手際よく映写機にセッティングしてくださる。

大月)さぁ、これから『レッドバロン』、みんなで観よう! ところでさ、今度俺が出た『仮面ライダー(ドライブ)』だけどさ、(現場の)雰囲気が良かったんで、監督にも誰にも言わないで、俺、アドリヴで一番最後にいきなり歌を歌い出しちゃったんだよな(爆笑)!

−−それは著作権上、問題のない曲でしたか(笑)?

大月)それは解んない! “You Are My Sunshine”って曲なんだけどさ。著作権の問題があるから、もしかしたら俺が歌っているシーン、全部カットされてるかも知れないけど、あのシーンはカットしないで欲しいんだよな〜。

編者註:“You Are My Sunshine”は1940年公開映画“Take Me Back to Oklahoma”の挿入歌。劇中ジミー・デイビスとチャールズ・ミッチェルに歌われたが、その後数多くの有名歌手などにカバーされたため、現在アメリカのポピュラーソングとして定着している。同曲は日本国内でも戦後復興の時期に流行したため、おそらくは青年期の大月ウルフ氏が愛唱したであろう思い出深い一曲だと推察される。『仮面ライダードライブ』劇中、アメリカから来日したハーレー・ヘンドリクソン博士に“You Are My Sunshine”を歌わせる大月氏のアドリヴは、「同曲がアメリカを象徴する」という氏の潜在意識が生み出したものなのかも知れない。

大月)このスクリーン、凄いだろ? 俺の(舞踏の)先生の伊藤道郎(いとうみちお)ってひとから貰ってきたんだけど、戦前のもので、しっかりした造りになってる。スクリーンの隅っちょに“SAKURA製”って書いてあるだろ? それをくれた“伊藤道郎”って、凄い舞踏家だった。

−−戦前から欧州で大活躍していたのに、アメリカ国内で日米関係を改善するための宣伝工作に腐心して、結局スパイ容疑で日本に送還させられてしまうんでしたよね。「戦争反対」を口にしたら生命の危機に晒される時代でした。

大月)そうそう。 あのひと、アメリカで捕まって、交換船で日本に帰ってきたんだよ。あ、(『レッドバロン』OPが)始まったかい。この『レッドバロン』ってさ、割合特撮テレビのハシリの作品かね?

−−“ハシリ”はおそらく『月光仮面』や、1964(昭和39)年に大月さんが出演された『忍者部隊月光』だと思います。『レッドバロン』はそれから9年後、1973(昭和48)年の作品になります。当時はテレビのチャンネルを捻れば、毎日必ずどこかのテレビ局で特撮番組が放送されていた、1970年代“テレビ特撮黄金期”の真っ只中でした。

大月)『忍者部隊月光』?…よく憶えてないけど、何かの役で出たような気がするな。

編者註:大月氏は『忍者部隊月光』第5話に“世界連合代表”役で、同第43話に“世界連合士官”役で出演している。その際クレジットは現在の“大月ウルフ”ではなく、当時の芸名“大月得夫(おおつき うるふ)”であった。

−−今から42年前に放送された『レッドバロン』は、元.円谷プロ関係者が立ち上げた“日本現代企画”の制作です。撮影時期的には、大月さんが“エルバンダ”をお演りになった『(愛の戦士)レインボーマン』くらいです。

大月)へぇ〜。(OPをご覧になりながら)これさ、たしか味方(SSI)がお金がなかったのか、現場までタクシーみたいな車(アイアンホーク号)で移動してたやつだよな? その前にでっかいロボットが出る(『ジャイアントロボ』第20話/BF団科学者役/1968年/NET/東映)のもあったっけ。

編者註:SSIアイアンホーク号のボディ配色(黄色ベースに赤ライン)は、日本交通タクシー(1973年式)のそれと酷似している。このことから、大月氏がアイアンホーク号をタクシーに例えたのではないかと推察される。

−−色々な役を演じていらっしゃいますものね。『レッドバロン』での大月さんの役どころですが、“宇宙鉄面党”という悪の組織が送り込んだ、ドラキュマンという幹部が化けている “ジョージ”という偽隊員です。

大月)へぇ、そう。(OPに“玉川伊佐男”氏のクレジットを見つけて)玉川さん、出てたね。現場で俺の芝居を誉めてくれて…いい人だった。奴(玉川氏)が「ヘイ、ジョージ!」なんて、わざとバタ臭い声で俺を呼ぶんだよな(笑)。ロケ地は奥多摩だったかな? あと採石場みたいな所でも撮った。
(三神博士や松原真理がいるSSI基地内シーンをご覧になりながら)こういうセットでも撮ったかもな〜。(出撃する紅健役の岡田洋介氏をご覧になりながら)この人たち、みんな元気なの? 生きてんの?

−−主役の岡田洋介さんはインターネットで死亡説が出ていますが、生死は未確認です。ほかのSSI隊員役の俳優諸氏は、既に芸能界を引退していらっしゃる方が多いです。

大月)玉川(伊佐男)さんも亡くなっちゃったよな。玉川さんは俺よりちょっと年上で、確か“新協劇団”(革新的思想をもつ演劇人たちにより結成された劇団。戦前・戦後でカラーが異なる)かどこかにいたんだよ。

編者註:玉川伊佐男氏は1922年・東京市生まれ。1942年に松竹の文芸演出部、翌年“笑の劇団・青春座”に関与するも、同年応召。除隊後に満州にて移動劇団隊に参加、1946年に帰国した。松竹劇団“新風俗”を経て、1950〜60年代はテレビドラマ・映画・劇団泉座で活躍。1970年代以降は徐々にテレビドラマへシフトし、大河ドラマなどの時代劇や『シルバー仮面』(大原道男役)など、さまざまなジャンルの作品で活躍した。

−−日活映画の悪役としてもご活躍でしたね。

大月)そうそう。あと、俺が“ゴードン”なる紳士を演った『(正義のシンボル)コンドールマン』(第8・11〜13話/1975年/NET/東映)に、築地小劇場(日本初の新劇劇団。プロレタリア劇団の色合が濃く、大月氏の恩師・千田是也氏等も関与していた)出身の多々良純さんも出てた。もうみんな、亡くなっちゃった。

編者註:多々良純氏は1917年・宮城県生まれ。中学卒業後、YMCA国際ホテル学校に入学するが半年で中退、朝日新聞で新築地劇団研究生募集を知り、1936年に入所。1940年に映画デビューも果たすが、以降1945年まで応召〜除隊〜演劇活動を繰り返す。1947年に民芸に参加、1950年代は主に演劇、1960年代以降は映画・テレビ作品に数多く出演。『(正義のシンボル)コンドールマン』(1975年)、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)など、東映特撮作品でも活躍した。

大月)(健・哲也・真理が謎の飛行物体着陸の現場へ向かうシーンをご覧になりながら)あ〜、あんなタクシー(アイアンホーク号)使っちゃって(笑)。ここは多分奥多摩だね。…ところでさ、いま中国って、こういう特撮番組を撮ってるの? ジャッキー・チェンや中国の役者って、リズムがあって巧くて、俺は(中国の映画が)好きなんだよ。

−−はい。日本の特撮スタッフが中国でも特撮番組の撮影に参加しているようですね。…このあと、大月さんが戦闘機から出てきます。

大月)(戦闘機のハッチが開き、ジョージがSSIメンバーの前に姿を現すシーンをご覧になりながら)いぇぇぇい、出てきた(笑)。俺さ、この時、いくつぐらいだった?

−−大月さんは1934(昭和9)年のお生まれなので、この頃は多分39〜40歳くらいだったと思います。

大月)(ジョージが紅健に救助されるシーンをご覧になりながら)39〜40歳かぁ…。この頃は俺もまだ芝居が柔らかかったんだな。どっかのスタジオでアフレコもやったっけ。
(SSIメンバーに剽軽な台詞まわしで相対するジョージをご覧になりながら)…エヘヘヘ(笑)。

−−『レッドバロン』ではリハーサルを何度くらい行いましたか?

大月)うん、こんなもん、2〜3度(リハーサルを)やって、すぐ本番だよ(笑)!
(アイアンホーク号車中、SSIメンバーとジョージのやりとりをご覧になりながら)俺、英語が全然話せないんだけどさ、片言英語で演ってんだ。これ(ジョージの台詞まわし)面白いな〜(笑)。
(襲ってきた宇宙鉄面党戦闘員たちとの戦闘シーンをご覧になりながら)このフランケンシュタインみたいな連中は誰?

−−敵の戦闘員です。おそらく予算の問題だと思われますが、市販のフランケンシュタインのパーティーマスクを改造して使用しているようです。

大月)あ〜そう。(SSIメンバーとジョージがトンネル方向へ避難するシーンをご覧になりながら)このトンネルで“事件”が起きたんだよな(爆笑)。今、爆発シーンがあったろ? 火薬にセメントの粉なんかを混ぜるんだよ。(福原博)監督が「役者は全員トンネルの外へ出ていろ」と言ったんで、外に出てたらな、監督・助監督・カメラマンとかスタッフ全員の傍にあったトンネル付近の“仕掛け”が、いきなりドカ〜ン!と爆発したんだよ。監督たちがトンネルから出てきたら、(ザ・ドリフターズのコントのオチのように)もうセメントと泥で全身真っ黒になっててさ、「ザマぁ見やがれ〜!」って、笑ったのよ。役者はみんな、喜んじゃってさ(笑)。

−−装置が誤爆したのでしょうか?

大月)自分たちがどこに(セメント爆弾を)仕掛けたか、分かってなかったのかね? お腹が出っ張ったスタッフの兄ちゃんが、スイカみたいな玉を地面に埋めるんだよ。そんで、泥を被せて、その上にセメントを被せるんだよ。
(ジョージが戦闘員たちに重力増加銃を発射するシーンをご覧になりながら)ウフフフフ…(笑)。この頃からもう“重力”を武器にする設定があったんだ。ヘェ〜。
『レッドバロン』じゃないけど、こういう特撮の他の番組でね、逃げてく善玉を我々が追いかけてくシーンを撮ってたんだよ。善玉と悪玉の中間に爆薬を仕掛けてあって、それを爆発させたら、破片が善玉の役者の背中に突き刺さっちゃった。富士の裾野で撮影したんだけど、昔はそういう事故もあったよ。危ないんだよね、そういうシーンの撮影ってさ。
(バロン対ドラキバットの戦闘シーンをご覧になりながら)俺は岡田真澄とこういう番組に出たことがあるよ。

−−おそらく『マグマ大使』(ジョージ山口・X26号役/第38・39話/1967年/CX/ピープロ)ですね。

大月)(玉川伊佐男氏演じる熊野警部とジョージのやりとりをご覧になりながら)玉川さんはなかなかいい人だった。う〜ん、(このシーンは)面白いねぇ(笑)。
これに出てくる車(アイアンホーク号)、タクシーのポンコツかなんか使って撮影してるのかな? あと、もう役者はみんな、ジジィ・ババァになってるだろ?

−−(アイアンホーク号は)おそらく既存のドイツ車(オペル・マンタ)を改造したものだと思います。一昨年の秋に“バロンシリーズ座談会”で番組関係者に集まっていただきましたが、皆さん60代半ばにも拘らず、若々しかったですよ。主婦になられた方、故郷で米農家をされている方などもいらっしゃいます。

大月)あ〜、そうなんだ。(ジョージたちがバロンの格納庫を移動するシーンをご覧になりながら)これはどっかの工場かな? どこで撮ったかは憶えてない。
(ジョージが格納中のレッドバロンに重力増加銃を発射するシーンをご覧になりながら)ウフフフフ…(笑)。この間、君が送ってくれた座談会の資料に載ってた、鈴木(清)監督って人が、この回を撮ってるわけ?

−−いいえ、この回の演出は福原博さんという監督です。『レッドバロン』は全部で6名の監督がいらっしゃって、鈴木(清)監督をはじめ半分が円谷プロのスタッフご出身、この回の福原監督をはじめ、もう半分の方々が『月光仮面』の広告代理店・宣弘社さんの監督部ご出身なんです。

大月)ほう〜。(ドラキュマン捕獲に向かうジョージをご覧になりながら)…エヘヘヘ(笑)。

−−ジョージの衣裳などはどうされたのですか?

大月)衣裳屋さんのところへ行ってね、選んだよ。(ドラキュマンこそが正体であることを明かすジョージ〜大団円シーンをご覧になりながら)40年前、30代のウルちゃん、よく演ってましたよ(笑)。これを撮ったあと、たしか玉川さんが青年劇場を紹介してくれた。俺はGI(アメリカ軍軍人)の役をもらってね。『レッドバロン』って、石ノ森(章太郎)さんの作品?

−−いいえ、石ノ森先生の作品ではなく、日本テレビ社員さん主導で企画が練られたという、稀有な経緯で制作された原作漫画を持たない特撮作品です。先ほどもお話しましたが、円谷プロをリストラされたスタッフなどが立ち上げた“日本現代企画”(狛江スタジオ跡)という会社が制作しています。
ところで、大月さんがこの『レッドバロン』に参加される経緯については、ご記憶でしょうか?

大月)憶えてない(笑)!
大月)とにかく俺は最初に“(劇団)三期会”ってところにいたんだ。のちに“東京演劇アンサンブル”といわれるところなんだけどね。おそらくはその時に、この仕事(『レッドバロン』第36話・ジョージ役)が俺のところへ来たんだろ。俺はこんな変な顔をしてるから変な役ばっかりで、せいぜいマシだったのは“(舞台)松川事件”のMP(憲兵)役ぐらいで(苦笑)。その頃から特撮(テレビドラマ)をやり始めたんだよね。もう少しあとに“俳協”(東京都俳優生活協同組合)ってところに入るんだけど、つまんないからそこも(20年くらい前に)辞めちまった。その前に外人の役者を集めたプロダクション (国際演技者紹介所)にいて、そこにはトルコ人の役者なんかもいた。

−−それはオスマン・ユセフさんでしょうか?

大月)そうそう、オスマン・ユセフ!

編者註:トルコ出身の俳優・オスマン・ユセフ氏は、戦前に来日し既に永住権を得ていたため、1944年(第二次世界大戦中)より、東宝の戦意高揚(国策)映画に出演。戦後は数々の東宝怪獣映画や特撮テレビドラマ等に出演し、ファンに強烈な印象を残した。同郷の俳優、エンベル・アルテンバイ氏とともに国際演技者紹介所を通じ、外国人俳優のキャスティグにも尽力した。『ウルトラセブン』(第14話)地球防衛軍科学班チーフ役、『愛の戦士 レインボーマン』(第34〜36・39話)アリシア連邦大統領補佐官・ダリンジャー役などが有名。

大月)都内にモスク(イスラム教の礼拝堂)があってさ、そこにロシア語も出来るトルコ人の俳優が集まってて、そこにいたオスマン・ユセフなんかが紹介してくれる仕事は、割合ギャラが良かったんだよ。でも俳協から紹介された仕事はやたらギャラが安かった(苦笑)。撮影現場でオスマン・ユセフに会うと、「ウルフ、バカだな〜。俺んとこの紹介所から(番組に)出れば、もっと高いギャラが出たのに!」って、言われたりな(笑)。オスマン・ユセフは『レインボーマン』にも出てたけどさ、彼の兄さん(ユセフ・トルコ氏)がプロレスラーやレフリーもやってて。まぁ、大人しい奴らだった。アメリカに帰っちゃった(外人の)役者もたくさんいるけどね。

−−大月さんと『仮面ライダースーパー1』第1話に出演していらしたウィリー・ドーシーさんや、チコ・ローラントさんも、おそらくアメリカへお帰りになったんでしょうね。

編者註:ウィリー・ドーシー氏は肉体派黒人系俳優として活躍し、『愛の戦士 レインボーマン』(第4話/1972年/NET/東宝・国際放映)では、マカオの殺人ショーでヤマトタケシと対戦した地下格闘家“黒い野牛”役や、『電子戦隊デンジマン』(1980年/テレビ朝日/東映)オープニングで、デンジレッド・赤城一平に叩きのめされるボクサー役などが印象深い。特撮本編では「エスパイ」敵エスパー・アブドウラ役(1974年/東宝)など。1988年以降の出演作品が確認できないことから、この頃引退したと推察される。
チコ・ローラント氏は1935年・米国カリフォルニア州生まれ。“チコ・ローランド”と記載されている資料が多いが、その英字綴りから正確には“チコ・ローラント”。『レインボーマン 』(第32話)では、死ね死ね団アフリカ基地から女性幹部・ロリータともに来日した怪人・パゴラを演じた。映画「狂熱の季節」「黒い太陽」をはじめ各映画会社本編への出演が多く、同じく日活映画「男の世界」(1971年/日活)では紳士なピアニスト役を演じている。『太陽にほえろ!』『Gメン’75』など刑事ドラマ出演も多い。


大月)そうそう、ウィリー・ドーシーやチコ・ローラントも(オスマン・ユセフ氏の紹介所に)いた。当時、外人の俳優やトルコ人は代々木にあった(国際演技者)紹介所の近所に集まってた。
ある時俺は『天皇の世紀』(第1〜2話/1971年/ABC)っていうテレビドラマに出たんだけど、(映画監督の)山本薩夫さんが一所懸命撮ってくれてさ、俺は東洋学者の役で「英語が出来る」って設定だったけど、本当は話せない。だけど話せるフリをして英語の台詞を懸命に演ったんだよ(笑)。そしたら外人の俳優がみんな、(英語が全く話せないのに芝居をやり遂げた)俺に拍手してくれてさ、恥ずかしかったけど、あれは嬉しかった(笑)。
山本薩夫さんって(本来本編の)凄く偉い監督だから、普段みんなヘイコラしてたけど、ある時“道具係”全員が山本さんに謀反を起こして、撮影で使う道具を河原に放置したまんま居なくなっちゃった(苦笑)。しょうがないから、助監督が山本薩夫さんが指示する小道具を俺たち役者に配ってたよ。その時現場には、やせっぽち・デブ・ノッポとか色んな外人役者がたくさん来てて、それこそインド人・イギリス人・アメリカ人とか、いろんな国籍の奴がいたんだ。それに全員水兵の軍服を着させたもんだから、“外人チンドン屋部隊”みたいになっちまった(笑)。それでも山本薩夫さんが外人の役者に芝居をやらせて、『天皇の世紀』の現場はエライ騒ぎだった。

編者註:山本薩夫監督は1910年・鹿児島県生まれ。1930年、第一早稲田高校での演劇活動を通じ左翼思想に開眼。1933年に松竹で助監督をつとめ、1937年の監督第1作「お嬢さん」以降、1940年までは文学的作品を撮り続ける。戦中は戦意高揚(国策)映画を撮影し、1946年に中国より帰国。東宝労働争議により東宝を退職した後は、「華麗なる一族」「不毛地帯」「戦争と人間」(3部作)など、一貫して反戦色・政治色の強い作品を撮り続けた。甥にあたる俳優の山本学・圭・亘の三氏をキャスティングすることが多かった。

−−大月さんも出演された映画「戦争と人間」シリーズなど、それまで著名な本編だけをお撮りになっていた山本薩夫監督が、テレビドラマに関与されるのは、当時相当稀有なことだったと思います。

大月)そうだよ〜。俺は栗原小巻なんかと「戦争と人間」(第二部「愛と悲しみの山河」/1971年/日活)に出たんだけど、ロシア人のスパイ(イワーノフ役)を演ったんだ。最後のシーンが夜景の綺麗な市場でさ、それこそラーメンの湯気が立っているような美味しそうな匂いのする現場で演ったんだけど、俺はそこから馬車に乗せられて、どこかで殺されてしまうんだよ。俺が殺されて川に浮いているシーンを、日活撮影所近くの多摩川で撮ったんだけど、山本薩夫さんから「(長時間)川に浮いたままでいろ!」って言われて。
あと、夜景の綺麗な市場のシーンでは、どこかの大学で高そうなクラシックカーを借りてきたんだけど、本番になったら車が動かなくなっちゃった。引っ張っても何しても全然動かない(笑)。スタッフみんなで車を押してみたんだけど結局動かなくて、山本薩夫さんが「こんなのヤメ!」って怒っちゃった。車のシーンは後日撮り直したらしいんだけどね。で、山本さんから「ウルフは川に浮いているシーンを撮ったから、もう(出番は)終わりだよ」と言われたんだけど、後日映画を観たら、俺の川のシーンがバッサリとカットされてた。おまけにその時の多摩川の撮影で急性の蓄膿になっちゃって、役者だから保険に何にも入ってなくて、しょうがないから自腹で耳鼻科へ行って治したんだ。俺は多摩川で撮った時に、誰かの(リアルな溺れる)芝居を思い出して、それでわざと川の水を吸い込んだんだ。今思うと随分バカなことをしたけど、そのお陰で色んなテレビドラマにも出してもらえるようになったんだ。
『朱鷺の墓』(カンタークージン大佐役/1970年/NHK)とか、『二百三高地 愛は死にますか』(ロシア軍将校捕虜役/1981年/TBS)とかね。日本人を助ける良いロシア人の役を演った時には、「自分の国の軍人を巧くやってくれた!」みたいなことで、ソ連大使館からパーティーの招待状が来ちゃってさ(笑)。でも俺、何となく(ソ連大使館の役人が)怖くって、結局パーティーに行かなかったんだよ。今思えば「あの時行っておけば良かった」って気がするんだけどね(苦笑)。
−−劇場版「二百三高地」(1980年/東映)でも、やはりロシア軍将校役を演じていらっしゃいますね。

大月)そう。ロシア人とかアメリカ人とか色々演ったけど、俺がロシア人を演るとなかなか“良いロシア人”になるんだよ(笑)! 「沖縄」(1970年/「沖縄」製作委員会)という映画があったんだけどね、その時俺はアメリカの“サージェント(軍曹)”を演ったんだ。あれこそリアリズムの芝居だった! 亡くなった地井武男さんと佐々木愛さんが主役でさ。彼らは自分たちの土地がアメリカに取られちゃって、生活のために(米軍)基地で働いてるんだけど、俺が横流しした爆弾や薬莢を地井さんたちに換金してくれるよう頼むんだよ(笑)。交渉の席で俺が地井さんにコニャックかなんかを勧めるシーンがあって、ある有名なカメラマンが「ここは気持ちがよく繋がっているんで、ワンカットでいきましょう」と言って、張り切って撮ってたんだけど、そのカメラマンが何日後かに過労で死んじゃうんだ。

筆者註:映画「沖縄」は第一部「一坪たりともわたすまい」・第二部「怒りの島」から構成される反戦映画。米軍基地拡張により平穏な生活を奪われた地元民の実態と闘いを生々しく描く、骨太の映画。監修:山本薩夫、監督:武田敦、出演:地井武男・佐々木愛・中村翫右衛門・加藤嘉・うえだ峻・大月ウルフ ほか。大月氏は第二部に登場、まもなくベトナム戦争での兵役に服さざるを得ないため厭世的となり、薬莢横領に手を染めるペシミックな軍曹を好演している。

−−(『人造人間キカイダー』助演の)俳優・うえだ峻さんにも、映画「沖縄」についてお訊きしたことがあったのですが、そもそもこの映画は制作側から俳優さん達のギャラが一切出ないし、有志の方々のカンパのみで制作されていたそうですね。

大月)そうなんだよ! 俺も当時の金で1万5千円もカンパしたんだ。出演料を一円もくれないのに、俺は金(制作費の一部)を出したんだ。馬鹿野郎(苦笑)! あんまり他人の悪口言っちゃいけないけど、(いけばな草月流創始者)勅使河原(蒼風)の息子(勅使河原宏氏)が関係してたんで、俺はこの映画に出ることになったんだ。高峰秀子が出てた映画…たしか「カルメン故郷に帰る」(1951年/松竹)だかを一緒にやってた女優さん(故.小林トシ子女史)が、勅使河原(蒼風)さんの息子の嫁だったのかな? 俺が彼女たちのお芝居に出たことがあって、それで(映画「沖縄」に)誘われたんだ。そんなことがあって映画に出たんだけど、金(制作費)が何にもないもんだから、俺は金を出したんだ(笑)。

−−アメリカ人役でいいますと、大月さんは映画「混血児リカ ひとりゆくさすらい旅」(1973年/東宝)にも、マフィアのジョージ役で出演されていますね。

大月)あ〜、あったなぁ。いま観ると凄いエログロの映画でね(苦笑)。

編者註:映画「混血児リカ ひとりゆくさすらい旅」(1973年/東宝)は、同名劇画を映画化したシリーズ第二弾。横浜から八戸へ旅立った孤独な少女・リカが、権力・暴力団・外人マフィアに敢然と戦いを挑み、陰惨な事件の元凶を壊滅させるという怪作。監督:中平康、原作:凡天太郎、脚本:新藤兼人、出演:青木リカ・峰岸隆之介・浜かおる・殿山泰司・藤木孝・大月ウルフ・鈴木ヤスシ ほか。

−−この映画「混血児リカ〜」撮影の頃が、ちょうど『レインボーマン』エルバンダや『レッドバロン』ジョージ隊員を演じられた時期と被りますね。

大月)そうか。「混血児リカ〜」はさ、劇団青年座の連中(大月氏と俳優座養成所5期で同期だった青年座所属・久保幸一氏ら)がこぞって出ちゃったんだよ。ところが「あんなの、役者の面汚しだよ!」みたいな役をやらされちゃってね。もう亡くなってると思うけど、米軍基地がある(青森県)三沢の“親分さん”の家を借りて撮影したんだよ。

−−“親分さん”って、いわゆる“ヤ○ザ屋さん”ですか?

大月)そう(笑)。普段は意外と気持ちのイイ人たちなんで、ビックリしちゃったんだけどさ。その親分さんの家に、ある有名な演歌歌手の人やオカマちゃんが来たり(爆笑)、撮影現場で俺が「この映画のエキストラ、本物のヤ○ザみたいじゃないか。凄いエキストラ、揃えたな!」って感心してたら、スタッフから「馬鹿野郎! あれ全員“本物”だよ!」って言われたりな(笑)。それで、ある時その人たちの“事務所”を見学させてもらったらさ、ガラスの所にいっぱい刀みたいのが入ってるんだよ。「凄いな〜、これ“出入り”の時に使うのかな?」って驚いたけど。
その他だと俺は伊丹十三監督の映画「タンポポ」(1985年/東宝)にお医者の役で出たし、若山富三郎さんや安藤昇さんの映画(作品名不明)にも出てるよ。

編者註:安藤昇氏は1926年・東京府生まれ。三重海軍航空隊で人間爆雷“なぎさ作戦”訓練中に終戦を迎え、法政大学へ入学するも中退。1952年に安藤組を組織し、1964年の解散まで先鋭的な暴力事件で名を馳せる。1965年に自身の足跡をモチーフとした映画「血と掟」で俳優デビュー、松竹・東映・東宝で数々の任侠映画に出演し、一世を風靡した。

−−安藤昇さんは任侠の世界から芸能界に入られた方ですものね。十数年前、歌舞伎町で着物姿で杖を突きながら歩いていらっしゃる安藤さんを偶然お見かけしましたが、お歳を召しても“険しいお顔”をした迫力ある方でした。18年前の取材で大月さんからお訊きしましたが、「映画制作側が地元の任侠の方々に筋を通しておかないと、撮影を邪魔されてしまう」ということが、ままあったそうですね?

大月)そうなんだよ。横浜で「混血児リカ〜」の撮影をした時に、俺は(マフィア役で)機関銃持って素っ裸の女の子たちを撃ち殺すシーンを撮ったんだけど、その次の日本の親分役の役者が出るシーンで、背後に本物の組員たちが並んでた(笑)。その時に本当は、横浜の“氷川丸”を撮影に使おうと思ってたんだけど断られたんで、青森の人が貨物船を用意してくれたってことがあったね。貨物船の荷揚げの人たちが、傍でニヤニヤしながら撮影を見学してたけど。俺が女の子たちや日本の組員たちを撃ち殺すシーンでは、“本物の舎弟さんたち”が弾着を着けて撃ち殺される芝居をしてくれたんだ。撮影は結構面白かったけど、あとで映画観てみたらグロだったなぁ…。
−−善人・悪人、さまざまな職業・国籍の外人を演じられた大月さんですが、再度『レッドバロン』ジョージ役を振り返っていただいて、いかがでしたか?

大月)やっぱり「若かったんだな〜」と思ったし、表情が豊かで柔らかくて良かった。最後の方で俺が正体を明かして、顔を銀色に塗った別の役者に替わるだろ? ああいう設定は面白いよね。
『レッドバロン』のロケ地は奥多摩で間違いないと思うんだけど、東映の作品でも何でも、奥多摩や、有名な採石場があった秩父にはよく連れて行かれたっけな。俺なんか、しょっちゅうインチキな衣裳を着させられるからさ、パンツが合わないんだよ(笑)。それで、殴ったり殴られたりするもんだから、すぐにパンツが破けちゃうんだ。それで『大鉄人17』のハスラー(教授)の時は、岩の上で偉そうな芝居をしてるんだけど、裏から回ってお尻を見るとさ、パンツが破けてるんだ(笑)。だから監督がそれを見て「(大月氏の)前だけ映せ!」って怒鳴ったりね。とにかく俺なんかにはロクな衣裳を与えてくれないからな(苦笑)。


−−ジョージはアメリカの本部(SSI)から来たという設定ですから、大月さんはアメリカ空軍の軍人のような衣裳を着ていらっしゃいましたよね。

大月)空軍の飛行服みたいのは、衣裳部の隅っこにあったもんじゃないかな? 飛行機のハッチのシーンは撮影所の隅っこで撮ったのかな? 現場にセットを持っていって撮ったのかな? 全然憶えてない。
さっき、セメントの爆破装置の話が出たけど、装置は板に釘を打ってあるんだよ。そこに電線が張ってあって、向こうで(スタッフが)スイッチをパチッ!と入れると、バンバンバンバン!って鳴るわけよ。装置が粗末だと爆発の順番が分からないから怖い。もう少しマシな装置になると丸いダイヤル式で、それを(スタッフが)回すと順番にバンバンバンバン!って爆発するんだ。だけど粗末な装置だと、釘が上を向いてるわけだから、踏んづけたら怪我しそうで本当に怖いわけよ。
さっきも話したけど、御殿場・富士の自衛隊演習場でさ、俺が外人ギャングの役で、日本人ギャングと武器の取引をするって設定で撮影してたんだ。通りかかったタンク(戦車)に乗った自衛隊の人たちが、タンクを止めてニコニコしながら撮影を見学してたね。武器を入れた箱に爆薬入れてさ、ヘリコプターを1時間あたり6万円でチャーターして空撮するんだ。「ヘリが来た来た! よ〜し、本番!」なんて言って、ヘリから爆撃っていう設定で撮った。それで装置のスイッチを入れて、あっちこっちドカ〜ン!となるわけ。スタジオに入って撮影したフィルムをみんなで観たらさ、爆発で画面が真っ黒になってて、何にも映ってないのな(爆笑)。「馬鹿野郎! どこ映してたんだ!」って大騒ぎになっちゃって。まだビデオの時代じゃなかったし、カメラ一台で撮ってるから現像してみなくちゃ分からない。
ある番組で千葉真一さんが、秩父の山奥でケーブルカーの屋根に乗ってアクションをしたんだけど、下は絶壁で谷なんだ! 千葉さんは本当に危険なことをしてるんだけど、カメラ一台で俯瞰で撮っても距離が分からないから、危険なことをしてるように見えないんだ。彼が折角やったことが活きてないんだよな。こんなこと言ったらカメラマンには悪いけどさ、本当に怖いものを怖く撮らなきゃなんないのに、それが出来てないことが現場では随分あるよ。

−−空撮で複数アングルを押さえることは難しいですし、危険ですし。『レッドバロン』(第36話)の撮影でも、セメント装置爆破のタイミングがズレて、監督やスタッフの皆さんが、セメントの爆発に巻き込まれたということなんですね。

大月)(福原)監督が「お前ら、トンネルの外で待ってろ」って言ってすぐに、ドカ〜ン!と行っちゃったからね。役者たちは手を叩いて喜んでた(笑)。いつもはこっち(俳優)が怪我をする側だからさ、いつも怖い思いをしているから、つい手を叩いて喜んじゃったんだろうな。でも爆発は本当に怖いんだ。
『レッドバロン』じゃないけど、ある番組で、工場の屋根のスレートからスタントマンが落っこちて死んじゃったり、カメラマンがバイクがこっちへ向かってくるシーンを電柱の陰から撮影してたら、バイクが突っ込んできてカメラマンが死んだっていう事故もあった。カメラマンがフレームを覗いてると、バイクが暴走してるのがよく見えないから、次の瞬間、バイクとドカ〜ン!とぶつかってしまったんだ。本当に撮影中の事故は油断できない。スタントマンはちゃんと保険に入ってるんだけど、俺たちは保険に入れてもらえないし、ただ安い給料を貰うだけだから、もし怪我をしても全部自腹。アメリカでは絶対そんなことは許されない。

−−アメリカでは、ユニオン(労働組合)がとても強いらしいですからね。

大月)そうだよ。でも日本では危険なことでも「お前、役者なんだからやれ!」と言われたら、やんなきゃなんない。「お前、受け身を知ってるか?」「いや、知りませんよ」「お前、そこの崖から下へ飛び降りて転がってみろ!」「え〜? 出来ませんよ」「どうでもいいから早くやれ!」って言われたり(苦笑)。
『大鉄人17』のハスラー(教授)では、自前のパイプや葉巻を揃えて芝居に使ったり、工夫した。高かったけどな(笑)。

−−大月さんのご出演作品を振り返ってみますと、『大鉄人17』ハスラー教授同様、科学者役が少なくないのですが、『ジャイアントロボ』(BF団科学者役/第20話/1968年/NET/東映)は憶えていらっしゃいますか?

大月)うん、『ジャイアントロボ』は憶えてる。基地でロボを改造しようとするんだよな。(プリントアウトされた当時の出演シーン画像をご覧になりながら)まだ若いね〜、29か30(歳)くらいかな? 多分俺が結婚したばっかりの頃だと思う。
(今度は怪人エルバンダのプリントを見つけて)あっ、こいつ(エルバンダ)は電気食うんだよな(笑)。エルバンダの眉を描くのに、メイク係が俺の眉を蝋(ろう)で潰しやがって、これのおかげで随分眉毛が抜けちゃって、なかなか生えてこなくなったんだよ。関西の化粧方の奴だったんだけどね。

−−これは『レインボーマン』第20話の一葉ですが、このレインボーマンとの対戦シーンは、おそらく多摩川河川敷での撮影でしょうか?

大月)そうだね、これは多摩川だ。あと、世田谷の国際放映の裏の畑みたいなところでも撮ったんだよな。タイツ姿は見っともないしさ、俺、(エルバンダの画像や映像を)ひとに見せるの、イヤなんだよ〜(苦笑)。電気を食べてるシーンは国際放映で撮ったんじゃないかな。(ここでエルバンダの食事シーンを再現してくださりながら)ジジジ!ってスパークしてる電気を、俺がこうやってバクバクバク!って食っちまうんだ(笑)。

−−大月さん演じるエルバンダのお母さんが、魔女イグアナ役の塩沢ときさんでした。

大月)塩沢さん、まだ生きてる?

−−残念ながら8年前に胃ガンで亡くなられました…。生前のインタビューによれば、塩沢さんは『レインボーマン』等で共演された東宝の後輩の平田昭彦さんに憧れていらしたそうですね。

大月)そうなんだ。平田さんも亡くなっちゃったね。彼はゴジラの映画にも出てたんだよな。平田さんは士官学校出身だから、俺が撮影所で彼に「子どもの頃、海軍が表参道を仮装行列してたのを見たことある」って、本当の話をしたら、「海軍は仮装行列などしない!」って怒ってた(苦笑)。しかも平田さんは東大出身のエリートだから難しい性格なんだ。

編者註:塩沢とき女史は1928年・東京市生まれ。戦中は長野県食糧営団に勤務し、1947年に東宝の第2期ニューフェイスに。1950年に映画「女三四郎」でデビューを飾る。芸者・女中・ホステスといった役どころが多かったが、市川崑監督らに重宝された。『へんしん! ポンポコ玉』(1973年)、『円盤戦争バンキッド』(1976年)などではギャグメイカーとしても活躍、視聴者に強烈な印象を残した。
平田昭彦氏は1927年・朝鮮京城生まれ。1944年に東京陸軍幼年学校を卒業し、同年陸軍士官学校へ進むもそこで終戦を迎える。東京大学在学中に、新東宝撮影所でアルバイトし助監督も経験。大学卒業後に一旦貿易会社に就職するが、1953年に某女優の薦めで東宝に入社。「ゴジラ」(1954年)以降の東宝映画では、科学者・政治家・実業家など知的な役どころが多く、『レインボーマン』ミスターK役、『大鉄人17』キャプテンゴメス役など悪役の好演も印象深い。


−−怪人エルバンダは、我々特撮ファンの間でも大変高い人気を誇るキャラクターですが、その役づくりについて詳しくお教えください。

大月)お前さんが昔、取材に来てくれた時にも話したけど、エルバンダは“パントマイムの芝居”を取り入れてるんだよ。俺はフランスへ行った文学座出身の人からパントマイムを習ったことがあるからね。ピエロのフワフワした動きから“三角の動き(アレッキーノ)”に変わると、(ピエロの)性格も変わる。俺が塩沢さんと絡んでるシーンを観てもらえば分かるけど、エルバンダのはピエロの動きなんだよね。
その前には俺、10年間くらいNHKイタリアオペラの役者を演ってたんだ。俺は“乞食”とか、誰も演りたがらない役を演るのが好きなんだ。ある時有名な監督がやってきて、分厚い台本で演出をやった。オペラ「メフィスト」という作品では主役がギャロフという役者。それで、マルガリーテというヒロインが出てくる時に、乞食の爺さん役の俺が、必ず彼女の傍にいる設定なんだけど、ギャロフが「このオペラにそんな乞食の役なんかない!」って、怒っちゃったんだ(苦笑)。それで、化粧室から出てこなくなっちゃったんだけど、イタリアの演出家がやっと彼をなだめて、ギャロフが出てこないシーンだけ俺が出る演出に変わった。ラスト、円型舞台でマルガリーテが天に召されるシーンで、俺が十字架を担ぎながら主役をセンターに誘導するんだ。それを観たイタリア大使館の大使の奥さんが、俺の楽屋に来てくれて「貴方は素晴らしいわ!」って言って、抱きしめてくれたんだ。嬉しかったんだけど、日本の批評家は「カソリックの演出家のオペラは理解できない」という論評で、国内ではあんまり評判が良くなかった。
大月)もっと昔、俺が初めてオペラをやったのは「ボヘミアン」で、酔っ払いの役だった。出番は少ないんだけどね。宝塚劇場の初日「よし、このタイミングだ!」って、張り切って表舞台へ出て行ったら、3千人もお客がいて全員がこっちを観てるんだ(笑)。俺、ドキッ!っとしちゃってさ、「エライ舞台に出ちゃったなぁ。困った…」と思いながら、何とか酔っ払った芝居をしたんだが、どうも巧くいかなかった(苦笑)。その晩は家へ帰って、ヘベレケになるまで思いっきり飲んでさ、酔っ払いの気持ちを解かろうとしたわけさ。
リハーサルやって、何日後かの舞台で「今度こそ巧くやるぞ!」って、張り切って表舞台へ出ようとしたら、天井の梁(はり)がいきなり上からドンッ!と落っこちてきてさ、俺の頭に当たったのよ。そしたら3千人のお客全員のハッ!とした緊張感が、舞台上の俺にまで伝わってきて、そしたら途端に元気が出てきて、酔っ払いの芝居が巧く出来たんだよ〜(笑)。そのあとエレペーターの所にいた(スタッフの)爺さんが、俺の芝居を誉めてくれてさ、あれは嬉しかったな!
それで自信がついて、俳優修業を繰り返してパントマイムをやるようになって、それをあの“エルバンダ”の芝居に活かした…っていうわけなんだよ(笑)。『大鉄人17』(1977年/MBS/東映)のハスラー(教授)の時もさ、髭を長くしたり短くしたりしながら、性格の変化で“ 能動的な動き”と“受動的な動き”を取り入れて演ったんだ。一回髭を剃っちゃった時には、髭は男性ホルモンだから、ホルモンの循環が悪くなって、その影響で途端に歯を悪くしちゃったけどな。

−−『大鉄人17』では、『レインボーマン』に続き、平田昭彦さんと4年ぶりの共演がありましたね。

大月)そうなんだよ。あの番組は当然アフレコがあるんだけど、アフレコルームで俺はしょちゅうオナラしてたよ(笑)! そうすると平田さんが「(アフレコ室のドアを)開けろ開けろ!」って言って、誰かにドアを開けさせるんだけどね。(放屁の洗礼を浴びた)平田さんが「おい、お前、何食ってるんだよ?」って訊くから、「何食ってるって、ロクなもん食ってないよ!」って、答えるんだ( 爆笑)。
亡くなった方を悪く言っちゃいけないんだけど、彼は陸軍士官学校出身だし、全てが一流だけども、とにかくうるさいんだ。自衛隊の式典かなんかがあると「式典、すぐ観にいこう!」って言って、プロデューサーの平山(亨)さんを誘ってた。士官学校時代の良い思い出が随分たくさんあったみたいよ。
ハスラーはかなり最初の頃に殺される筈だったんだ。冒頭、研究所みたいな所でハスラーが殺されて、それで俺の出番は終わりだと思ってたら、いつの間にか最終回まで出番が続いたんだ(笑)。

−−創造主だったばずのハスラー教授が、機械の“ブレイン”に支配されてしまいました。主従関係が逆転した後のハスラー教授の人間的な言動・表情がユニークで、愛すべきキャラクターとして視聴者に受け入れられたのだと思います。大月さんもノリにノッていらしたのでは?

大月)まぁね(笑)。俺はドラマのレギュラーなんかやったことなかったのに。よみうりランドで撮影した時、あるスタッフが俺に「ウルフさんのギャラは高いから使いづらいんですよね」って言ったんだ。だから「俺は1本1万5千円しか貰ってないよ!」って正直に答えたら、みんな黙っちゃった(笑)。
ハスラーのパイプは画(え)になる形だったから使ったけど、最初俺はタバコなんか吸わなかったんだよ。『天皇の世紀』(1971年)の撮影の時、白人のプロモーターが細巻きのタバコを吸ってたんだ。その姿が格好イイんで、「俺も細巻き吸ってみようかな」と思って試してみたら、頭がクラクラしちゃってさ(笑)。葉巻も試してみたけど、1本5千円もするんだよ。段々タバコが好きになってきちゃって止められなくなったけど、数年前に脳梗塞をやってから、タバコはピタッ!と止めた。お医者に「大月さん、太くて短い人生で良いですか?」と言われて、「それは良くないです」って答えて、その日からタバコもお酒も飲まなくなった。ウイスキーボンボンも食べないよ(笑)。お酒が飲めないから、お正月が来ても面白くないんだけどね(苦笑)。でも今は甘いものが好きで、ちょっと困ってんだ。

−−ハスラー教授の撮影シーンの際に、特に印象的だった出来事について教えてください。

大月)“ブレイン”っていう、でっかい機械が暗闇の中にいるつもりで、何にもない所に向かって芝居するんだけど、とにかく相手がいないから面白くねえんだ。だからアドリヴをどんどん演るんだけど、そうすると記録や録音技師の人たちが「その台詞はダメ!」「その単語は差別問題があるから使っちゃいけない!」って、言ってくるんだよ。でも「ハスラーは画(え)になる」って言って、みんな一所懸命撮ってくれた。
最終回で、俺が乗ってたピラミッドみたいな飛行船が撃ち落とされるんだけど、ボロボロになって落下傘で降りながら、つい「おぉ〜、雲雀(ひばり)が鳴いとるわ!」って、アドリヴで演っちゃったんだ(笑)。そしたら周りの人たちがみんな、ワァ〜!って笑ってくれてね。でもすぐに監督からカットがかかっちゃった。どうしてカットがかかったのか、未だによく解かんないんだけどね(苦笑)。そのアドリヴは、よく漫画なんかで、顔のまわりに鳥が飛んでる表現があるけど、それをヒントにしたんだ。あんな名台詞はないと思うんだけどね〜。俺はアドリヴでいろんな台詞をつくったよ。「ペチャンコのキュ〜!」とかね(笑)。
『バッテンロボ丸』(1982年/CX/東映)の時もやったけど、俺は“言葉を創る”んだよ。『のらくろ』とか『タンクタンクロー』とかの影響があって、そういう「ペチャンコのキュ〜!」みたいな言葉が生まれるんだ。
番組(『大鉄人17』)が終わるときに、MBSのプロデューサーが俺のところに来て、「ウルフさん、面白く演ってくれて、本当に有難うございました!」って、言ってくれて、まぁ、ギャラは安かったんだけど、嬉しかったね(笑)。

−−俳優さんとしては、こんなに嬉しい労いの言葉はないのかも知れませんね。

編者註:『のらくろ』は、犬の軍隊に入隊した野良犬“のらくろ”の活躍を描く、田河水泡氏の漫画作品。1931年から雑誌「少年倶楽部」に連載されていたが、1941年、内務省役人からのクレームに編集長が屈し、打ち切りとなった。『タンクタンクロー』は、チョンマゲ頭・ボウリング球に似た胴体・黒い長靴ばきの足をもつ、ロボット(?)と思しき豪傑を主人公とした、阪本牙城氏の漫画作品。大日本雄弁会講談社の雑誌「幼年倶楽部」(1934年1月号〜1936年12月号)に連載された。
上記2作品は大月氏が2〜7歳の頃に連載された作品であり、後年俳優となる大月氏の文化的志向や機知を形成するうえで、多大な影響を与えた作品であろうことは論を待たない。


−−ところで『レインボーマン』と同じ原作者・川内康範さんが、同じコンセプトでつくられた『(正義のシンボル)コンドールマン』、憶えていらっしゃいますか? 大月さんは“サラマンダー”というモンスターの人間態“J・ゴードン”を演じていらっしゃいます。

大月)演った演った(笑)! あれは東京タワーの近くで撮影したんじゃないかね。大臣に札束を渡して懐柔するシーンがあったり、「コンドールマンさん」なんて台詞を言ったり、随分面白おかしく演ったつもりだよ。
たしかその番組だったと思うけど、面白かったのは、スタッフが丸く輪になって「次はどんなモンスターを出そうか?」って、真剣に話し合ってたことだね。「何もそんなの脚本家が書くんだろうから、別に(現場スタッフが)考えなくてもイイだろうに」って、こっちは思ったんだけどね。監督を中心にして真剣な顔して考えてたスタッフ連中が、怪物みたいな顔した監督を一斉に見ながら、「あ、これ(監督の怖い顔を模したモンスター)でいこう!」って(笑)。
別の番組では、ロケバスで休憩中に主役の奴が公衆便所に入ったまま、なかなか出てこないことがあったんだ。衣裳が黒いタイツみたいなヒーローだな。そしたらスタッフの誰かが「車(ロケバス)出しちゃえ! あいつ(主役)置いて、行っちゃえ行っちゃえ!」って、運転手をけしかけたんだ。黒タイツの主役の奴はさ、真っ青な顔して、恥ずかしい黒タイツの格好で必死でバスを追いかけたんだけど、追いつけない。バスの中でみんな、クスクス笑ってんのな(爆笑)!

−−“黒タイツのような衣装”着用となると、おそらく大月さんもゲスト出演していらした『忍者キャプター』(レスター博士役/第41話/1977年/東京12チャンネル/東映)ではないでしょうか?

大月)番組名は憶えてないけどさ。主役の奴はロケバスの中にズボンも財布も置いてきちゃってるわけだから、バスに追いついたら、「これ(この黒タイツの衣裳)じゃあ、電車にも乗れない」って、ボヤいてたね。そんなイタズラをしたっけ(爆笑)!

−−酷い…(苦笑)。今回大月さんは『仮面ライダードライブ』でハーレー・ヘンドリクソン博士役を演じられたわけですが、遡ること35年前、やはり『仮面ライダースーパー1』(第1話/1980年/MBS/東映)でヘンリー博士役を演じていらっしゃいます 。

大月)ヘンリーね! あれは善玉の博士だったんだよな〜。あんまり憶えてないんだけど(笑)。この間亡くなったプロデューサーの平山(亨)さんが、その昔、撮影所の前でパイプを咥えてるヘンリーの写真を俺にくれたよ。探せば、まだどっかにあると思うけど。平山さん、面白いひとだったね〜。

編者註:平山亨氏は1929年・東京市生まれ。1954年に東京大学文学部美学美術史科を卒業後、東映京都撮影所に助監督として入社した。松田定次監督に師事し、1963年に「銭形平次捕物控」で監督デビュー。1965年に東映東京撮影所へ移り、テレビプロデューサーとして『キャプテンウルトラ』『仮面の忍者・赤影』『柔道一直線』に関与したほか、1970〜80年代の石ノ森章太郎氏作品を数多く実写化した。

−−過去、弊サイト主催のイベントにもご参加くださいましたが、多弁で心の温かい、本当に素晴らしいお人柄の方でした。初期の戦隊シリーズや『仮面ライダー』シリーズ、『大鉄人17』など、石ノ森(章太郎)先生原作の企画展開は、平山先生のお力が大きかったと思います。

大月)あの人、昔、京都の東映にいたんだってね。俺もチャンバラ(時代劇)で随分京都の撮影所へ行ったよ。大映とか松竹とか東映とかね。
ヘンリーは撮影所の中の研究室みたいなセットで、ライダーになる兄ちゃんを手術するシーンを撮ったんだ。高い所に窓が嵌めてあって、(研究所員役の)いろんな役者が覗いてたのを憶えてるよ。主人公の兄ちゃん(沖一也役・高杉俊介氏)が凄い大きなオートバイ…ハーレーダビッドソンだっけか? 休憩時間それに乗ってたんで、俺も乗せてくれるように監督に頼んだんだけど、「ダメだ」って言われてさ。ヘンリーは良い博士だったんで、あんまり憶えてない(笑)!
まぁ、今度のライダー(『仮面ライダードライブ』)の(ハーレー・ヘンドリクソン)博士も善玉なんだけどさ、ラストの俺の歌がカットされてないか気になるんだよな。イタリアオペラ仕込みの俺の歌、自信があるからね。だけど80(歳)のジジィになってもまだ博士役を演らせてもらえて、俺は本当に嬉しかった! だから「春は鶯(うぐいす)。俺にも鶯(うぐいす)がやって来た!」って、みんなの賀状にも書いたよ。
脚本家の方(三条陸氏? 長谷川圭一氏?)は「(大月氏は)80歳には見えないです。頑張ってください!」って言ってくれたし、(プロデューサーの)大森(敬仁)さんや綺麗な女性のプロデューサーをはじめ、現場のみんながとっても良くしてくれた。役者たちは10代や20代の子が多くて、みんな綺麗な顔してるしさ、ジジィは俺だけなんだよ(苦笑)。俺のクランクアップの時に、スタジオでみんなが拍手してくれたから、「俺はもう80(歳)だけど、145歳まで生きるのが目標だし、まだ働けるから、またよろしくな!」って挨拶して、撮影所から帰ってきた(笑)。タバコもお酒もスッパリ止められたんで、精々長生きできるように頑張るよ!

−−「145歳まで」とおっしゃらず、ぜひ150歳まで(笑)。それでは最後に、個性的な大月ウルフさんのお芝居と、名キャラクターたちに魅せられた、全国の大月さんファンの皆様へメッセージをお願いいたします。

大月)振り返ると、俺はいろんな失敗を重ねながら役づくりをやってきたんだね。『プレイガール』監督の井上梅次さんに「お前、台詞言えんのか?」って最初は苛められて、言い返したりしたこともあった。そのうち井上さんが笑いながら「ウルフは何をやるか解からないからな〜」って言って、使ってくれるようになった。
俺は演りながら、パッ!と閃いたことをすぐ芝居に取り込んでしまうんだ。アドリヴの台詞を入れちゃうとかね。それは自分が目立ちたくてやってるんじゃなくて、お客さんに喜んでもらいたくて“表現的な演技”と“リアリズムのある演技”を目指してやってきたんだ。たとえば、子どもがお飯(まま)事をやってて、急に「うちの主人はビールを一日3本も飲みますのよ♪」って、別の人間になりきっちゃう。俺がやってるのも、それと同じなんだ。巫女みたいに“変身”するのが役者だし、それが面白いんだ。まぁ、まだまだ演っていくんで、応援してくれよな(笑)!

−−本日は、お忙しいところ、長時間ありがとうございました。

2015年1月25日
取材・構成◎「こちら特撮情報局」奥虹

大月 ウルフ(おおつき うるふ)

俳優・舞踏家
1934年8月27日、東京市生(聖路加病院が生誕地)。本名はウルフ・ゲオルギー。大月本人によれば「“Ulf”は騎士の意」との由。日本名は大月良雄(よしお)。父のヨスタはロシア系スウェーデン人で建築家・画家。母の大月投網子は日本人ピアニスト。
父・ヨスタは戦火を逃れ一旦スウェーデン本国へ単身帰国するが、その後複雑な事情から日本への再入国が叶わなかった。戦中、小学生の大月は静岡県天城湯ヶ島町に集団疎開していたが、戦後、東京へ戻った中学生の大月は舞台出演や彫刻モデルを努めるなど、常に芸術的環境に身を置いた。俳優座養成所第5期生として入所するが、途中退所。
1960〜70年代は、国際プロ(国際演技者紹介所)・劇団三期会(東京演劇アンサンブル)・東京俳優生活協同組合などに所属、映画・舞台とともに数多くのテレビ時代劇・特撮作品に出演、科学者・軍人・スパイ・マフィア・神父などを独特の感性で好演した。殊に『愛の戦士 レインボーマン』怪人エルバンダ役・『大鉄人17』ハスラー教授役の怪演は、パントマイムをアレンジした大月の役づくりの真骨頂であり、およそ40年の歳月を経ても未だ退色していない。
2015年、『忍者戦隊カクレンジャー』(サンタ・クロース役/1994年)以来、およそ20年ぶりに東映特撮作品に復帰。『仮面ライダードライブ』ハーレー・ヘンドリクソン博士役の設定は、かつて大月が演じたハスラー教授やヘンリー博士(『仮面ライダースーパー1』)へのリスペクトと推察される。

Blu-ray スーパーロボット レッドバロン
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