1970年代前半(ピークは1973年)は、毎日必ずどこかの局で特撮番組が放送される、所謂“特撮テレビドラマ黄金期”であった。それは同時に“特撮テレビドラマ戦国時代”でもあり、仮面ライダーシリーズを始めとする石森プロ・東映キャラクターズと、ウルトラシリーズを始めとする円谷プロキャラクターズの両雄が、圧倒的パワーで市場を席巻する情勢下、タッグを組んだ宣弘社・日本現代企画は、遂に“新ヒーローズの創造”に成功する。『シルバー仮面』(※コダイグループも参画)『アイアンキング』『スーパーロボット レッドバロン』は、何れも既存のヒーローにはない、特異な眩さを放つ稀有な作品であった。
それらは撮影現場で死傷者が出ても何ら不思議のない、尋常ならぬ火薬・ガソリン使用量に加え、等身大のヒーロー・俳優たちに対し、まさしく“死・大怪我と隣り合わせ”の激烈なるアクション演出がなされた、規格外の恐るべき作品群であった。その過酷な現場を擬斗師として統括しておられたのが高倉英二氏。NHK時代劇や『大江戸捜査網』などの殺陣、『西部警察』など石原プロ諸作品の擬斗、本編では故.松田優作氏主演“遊戯シリーズ”などの擬斗を務められた、映像界の大功労者。それにも拘らず既存の(特撮)インタビュー記事が存在しない、まさしく高倉英二氏は“伝説の殺陣師(擬斗師)”なのだ。
何せ高倉氏は禁欲的(ストイック)な方である。俳優の立ち廻り演出に関してはプロフェッショナルであっても、ご自身の立身出世のための立ち廻りには不器用でいらっしゃる。「裏方は表に出るべからず」を信条とされておられるから仕方ないのかも知れない。
しかし今回、道場関係者の説得もあり「擬斗を担当された“特撮諸作品の現場の史実”を証言として記録しておきたい」との弊サイトの趣旨をご理解いただき、インタビューをご快諾くださった。宣弘社特撮の鬼軍曹・高倉英二氏、遂にネットに降臨である。驚愕・悶絶必至のその貴重な証言の数々、括目してご一読を!
−−高倉先生、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

高倉)はい(笑)、(約束の取材時間は)2時間もありますんで、まぁ、ゆっくりやりましょう。

−−ありがとうございます。昨日イベントで石田信之さんとお会いしまして、「明日、高倉英二先生に取材をさせていただけることになりました」とお伝えしたら、「え〜っ、エイちゃん(高倉氏)に?」と驚いていらっしゃいました(笑)。

高倉)ノブちゃん(石田氏)とはね、しばらくの間ご無沙汰だったんだけど、僕が『半次郎』っていう舞台の企画をやっている時に、「(舞台の)資料を送ってくれる?」ってことで、また連絡を取り合うようになったのよ。

−−そうなんですか。石田さんから「今度またエイちゃんとゆっくり会いたいんで、よろしく伝えておいてくださいね」と申し付かりました。

高倉)そうね、ノブちゃんと久しぶりにゆっくり呑みたいね〜。

−−はい、石田さんにそうお伝えします(笑)! さて高倉先生、本日は先生が擬斗を務められた諸作品のなかでは、とりわけ人気の高い『シルバー仮面』『アイアンキング』『スーパーロボット レッドバロン』の3作品の撮影秘話を中心にお訊きしてまいります。“ハイレベルな擬斗”で我々特撮ファンを魅了してくださった高倉先生ですが、まずは先生の生い立ち…バックボーンからお教えください。

高倉)生まれは昭和20(1945)年2月8日、千葉県八日市場市(現.匝瑳市)ね。子どもの頃には、今みたいなこと(古武術)をもうやってました(笑)。

−−そうしますと、高倉先生のご実家が古武術の道場だった…ということでしょうか?

高倉)というよりもね、高倉家は元来“武家”の家系なんで、親から「あれやれ! これやれ!」って言われる前に、自然なうちにこういうもの(古武術の素養)が身に付いていた…っていう感じですね。

−−つまり現在、高倉先生が“宗家”を務めていらっしゃる「正伝十二騎神道流(しょうでん じゅうにき しんとうりゅう)」の基礎になっている琉球空手や色々な古武道が、もうご幼少時代には先生の身の回りに普通にあったということでしょうか?

高倉)そうそう。

−−図書館で“古武道”について調べてきたのですが、弓・馬・刀・槍・棍・鎌・拳・銃などに、それぞれすごい数の諸流派と伝承諸藩があって、想像以上に多岐に亘っていて、もう何がなんだか…という複雑さでした(苦笑)。

高倉)うんうん(笑)。僕が子供の頃はね、剣道・空手・躰道・居合道・剣術などをやりました。爺様も父もそれらをやってましたからね、僕も道場で自然と“遊び”としてそれらに接したんですね。子どもに遊ばせて慣れさせることを“鳥飼い”というんですが、「記憶にないうちから身体に技を染み込ませる」というような育てられ方を親からされたんです。だからこの歳になってもこんなこと(古武道)しか出来ないし、他のことは全然ダメなんです。どうしましょう(笑)?

−−いえいえ。何か大事を極めるためには、子どもの頃の“環境”がとても大切で、やはり大きく影響するんだな…と思いました。ご幼少の頃から古武道に囲まれた環境に育った高倉先生が、後年“若駒(冒険グループ)”さんに入団された経緯は何でしょうか?

高倉)それはね、僕が“宣弘社”という制作プロダクションで資材(不要になったセットをバラしたもの)を燃やすアルバイトをやってたことが、きっかけなんです。その頃宣弘社では『隠密剣士』(1962年10月7日〜1965年3月28日/TBS系/出演:大瀬康一・牧冬吉・吉田義夫・天津敏・外山高士 ほか)という作品を撮影してましてね、「面白いな〜」と思って撮影を観てたら、「おいっ、人(エキストラ)が足りないから、そこのお前、手伝え!」って(スタッフから)声をかけられたんです。それから「こんな面白いもの(ドラマ撮影)があるんだな〜」って、段々ハマってきまして。(NHK大河ドラマ)『花の生涯』だったか、長谷川和夫さん主演の『赤穂浪士』だったかは忘れましたが…その頃、林邦史朗さん(現“若駒プロ”代表)に会ったんです。当時、僕のアクション仲間が4〜5人いて、林さんも2〜3人仲間がいて、それで皆で“若駒(冒険グループ)”を創ったんです。

※編者註:高倉氏は宣弘社で船床定男監督(代表作:『月光仮面』『快傑ハリマオ』『隠密剣士』『マグマ大使』『水戸黄門』『鬼平犯科帳』『ガッツジュン』『荒野の素浪人』ほか)に付いて映画制作の現場を学んだ。エキストラや雑用にいたるまで“映画制作に関わるあらゆる部門を経験した上で”殺陣師になったため、単なる擬斗・殺陣だけにとどまらず、企画・脚本・演出までこなすことが出来るのである。

−−高倉先生と林邦史朗さんが、それぞれのお仲間を引き連れる形で、お芝居・殺陣のための“若駒冒険グループ”を結成されたんですね!

高倉)そうそう、そういうこと。林(邦史朗)さんは“劇団ひまわり”出身(の芝居畑の方)で、僕らは映画関係の事をやっていて(双方の方向性が)合致したんです。その頃(1960年代前半)の詳しいことが分からないのは、僕が元来資料類を大事にしない人間だからで。それでマネージャーの平岡にもよく怒られるんだけど(笑)、今になって自分の(人生の)履歴をネットで調べているくらいなんです。いま振り返ると、僕はどういうわけか反射神経や動体視力には恵まれていて、あんまり修行してなかったのに、試合(運び)だけには長けてたので、(試合)相手から嫌われることが多かったですよ(苦笑)。
−−さて、のちに古巣となる“宣弘社”がご縁で業界入りされた高倉先生ですが、さまざまな時代劇・現代劇に出演されたのち、1971年(昭和46年)秋から放送の『シルバー仮面』(1971年11月28日〜1972年5月21日/TBS系/出演:柴俊夫・亀石征一郎・篠田三郎・夏純子・松尾ジーナ・岸田森・玉川伊佐男 ほか)では、擬斗を担当されることになりましたね。

高倉)僕は当時26歳でした。たしか日本現代企画と宣弘社が制作で、特撮の連中とテレビ映画の連中が混ざってやってました。

−−宣弘社さんから若駒冒険グループさんへ「高倉さんに“擬斗”をお願いしたい」と依頼があって…?

高倉)いやいや、「頼む!」じゃないんですよ。自然とそう(こちらの意思・希望とは関係なく“擬斗”担当に)なっちゃったんです(笑)。(台本を見たら)勝手に僕の名前が載ってるんですよ(苦笑)。

−−当時巨大ヒーロー特撮番組では、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月2日〜1972年3月31日/TBS系/出演:団次郎・塚本信夫・根上淳・池田駿介・西田健・三井恒・桂木美加・岸田森・榊原るみ ほか)が人気を席捲していて…。

高倉)『ウルトラマン』なんかを撮ってた実相寺(昭雄)さんと(映像制作会社)コダイグループが、最初の頃『シルバー仮面』に参加してたんだけどね。

−−高倉先生、お詳しいですね!

高倉)まぁ、そのくらいは憶えてます(笑)。(『シルバー仮面』は)宣弘社の小林(利雄社長)さんとTBS(映画部)出身の橋本(洋二プロデューサー)さんが企画したんですよね?

−−おっしゃるとおりです。「『ウルトラマン』とは違うものを創りたい!」という関係諸氏の熱意が、『シルバー仮面』制作の原点だったとか。『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』が大人気を博しているなか、橋本(洋二)さんたちは、敢えて等身大SFヒーローで勝負しようとなさった 。

高倉)『シルバー仮面』のDVDを観て色々思い出したんだけど、当時「主役(シルバー仮面)を等身大(変身ヒーロー)にして一体(擬斗は)どうするんだ?」と悩んだんです。だって(第7話の脚本に書かれているのは)走って逃げる敵の(キマイラ)星人をシルバー仮面が追いかけるシーンなんですよ? 敵が走って逃げる。主人公も走ってそれを追いかける(苦笑)。「一体どうしたら良いか」って、随分研究しました。つまりそれを「キャメラワークでどうしていこうか」ということになりましたね。

−−当該エピソード(第7話)では、小田急線の豪徳寺駅前商店街の人混みのなか、シルバー仮面がキマイラ星人を追いかける、既存の特撮テレビ作品ではあり得なかったエキセントリックなシーンがありました。

高倉)それ僕、現場(豪徳寺駅前商店街)で(アクション演出)やりましたもん(笑)。

−−等身大ヒーローということで、高倉先生が擬斗面でご苦労された点は?

高倉)あのですね、「シルバー仮面(と春日光二)は何が得意で、何をどういう風にしようか」という点(武器や技の設定)が一切決まってなかったんです。例えば、主人公がその育ちから剣道・柔道・合気道のどれかをやっているとか、普通は得意なものを持たせることが必ずある筈なんですよ。それが(『シルバー仮面』に限っては)決められてないから、「もう(擬斗は)“感性”でやろう!」ということになった。だから肉体を駆使する“ボディアクション”だけで持っていこうと。スーツアクターは僕のところの若い衆なんで、空手なんかに精通していたんだけど、巧くいったところ(シーン)もあれば、巧くいかなかったところ(シーン)もありました。

−−(等身大)シルバー仮面のスーツアクターは、若駒冒険グループさんのお三方が担当されましたね。

高倉)そうそう、シルバーには3人の人間が入ってました。久保田鉄男、加藤寿(ひさし)、小坂生男の3人ね。足の短い時のシルバー仮面は久保田(鉄男氏)が入ってた(笑)。(講談社・刊「巨大ヒーロー大全集」内「チグリス星人対シルバー仮面」の一葉を指差しながら)このシルバーは筋肉質だから久保田(鉄男氏)が入ってたんだろうね。足が細い方のシルバーは加藤(寿氏)だね。
久保田はね、笹塚かどこかで居酒屋をやっていたんだけど、今から10年ちょっと前に肝臓の病で他界しましてね。小坂(生男氏)は行方不明で…。加藤(寿氏)は“バロン座談会”の資料を見たけど、元気みたいだね。

−−久保田さん(ご逝去)の件は本当に残念です…。1999年、『ワイルド7』関係の取材で故.長谷部安春監督にお会いした際、特撮番組の話題になりまして。「君、そんなに加藤(寿氏)のことが好きなら紹介するから」とおっしゃって、長谷部監督がセッティングしてくださいました。加藤寿さんからは高倉先生関連のお話をいろいろと伺っています。

高倉)あ、そうですか(笑)!

−−久保田鉄男さん・加藤寿さん・小坂生男さんとも、体型がかなり違うように思いますが、そういうお三方を等身大シルバー仮面のスーツアクターとして任命されたのは、どのような意図からでしょうか?

高倉)「このシーンのシルバーのアクションにはコイツが必要だ!」という時に、空中感覚の良い加藤(寿氏)、キレの良いアクションを演る小坂(生男氏)、パワーがある久保田(鉄男氏)を、その都度、演出によって代えて出していくわけです。

−−なるほど! あれだけビジュアル的に体型の異なるお三方が、揃ってキャスティングされる理由がどうしても理解できなかったのですが、今日やっと腑に落ちました。

高倉)高い所からのドロップキックやバック転・バック宙なんかの演出の時は、加藤(寿氏)に出てもらうんです。小坂(生男氏)は元々僕の弟子でしたから空手も上手だし、それなりのものがキチッと出来るんですよ。そして久保田(鉄男氏)は物凄くパワーがあってタフなんで、崖上からの転がりなんかは、もう久保田じゃなきゃダメなんですよ。そういう風に(3氏を)分類して動いてもらってました。

−−対する敵星人も色々な方が演じていらっしゃいましたが、実相寺(昭雄)監督の著書(『ウルトラマン誕生』)のなかで、「(第1話登場の)チグリス星人のスーツアクター・戸知章二氏が火傷を負った」旨が記されていました。支障のない範囲で当時の事故のことをお聞かせいただけますか?

高倉)そうそう、戸知(章二氏)が背中に大火傷をしてしまったね。あのね、“棒花火”みたいな装置が(着ぐるみの)外に出てなければならないのに、それがアクションをするなかで段々と(着ぐるみの)中へ入ってきちゃった。それで爆発スイッチを入れた時に、装置の火花が(着ぐるみの)中で充満しちゃったんです。それで僕らが戸知(章二氏)が入ってる(チグリス)星人を押し倒して、すぐに背中のチャックを下げて(着ぐるみを)全部剥がしました。戸知は「ワァァァ〜!」と声を上げて熱がって、床を転げまわってました。あれはたしか実相寺(昭雄)さんの回でしたね。

−−その後、戸知さんはどうなさったのでしょうか?

高倉)白い粉を患部に振って、 すぐに撮影現場へ戻りましたよ。

※編者註:1970年代の特撮(撮影・アトラクション)現場では、(裏地のない)ウェットスーツの着脱をスムーズにするための“ベビーパウダー”が常備されていた。“ベビーパウダー”には、軽度のかぶれ・ただれなどに効能があることから、咄嗟に火傷の応急処置として使用されたのではなかろうか。

−−ええ〜〜〜〜?! 控えのスーツアクターさんに交代させたのではなく…?

高倉)(戸知氏)本人が「悔しいから(チグリス星人のアクションの)続きを演らせてください! 交代させられるのは絶対イヤです!」と言って、現場へ戻ったんです。

−−やっぱり皆さん、プロフェッショナルですね。加藤寿さんもシルバー仮面ジャイアントの演技中に捻挫で足首が腫れてしまい、戸知さんに鋏でブーツを切ってもらい、応急処置をなさったそうです。

高倉)(プロは)怪我をしたことを見せちゃダメなんです。「怪我も弁当も自前だ」というのが当り前でしたからね。怪我をしたらすぐに別の人間に交代させますが、その当時なかなかそのポジション(スーツアクター役)へ辿り着くのは大変だったんです。競争でしたから。だから「どうした? 大丈夫か?」って訊いたら、「はいっ、大丈夫です! 骨折だけですから」なんて答えが返ってくることもありました。そんな時代でしたよ(笑)。

−−なんとも壮絶です(汗)。高倉先生の現場での“アクションの構築方法”についてお聞かせください。当然台本があり、また決められた“(フィルムの)尺”があるなか、どのような決め事で“擬斗”をつけていくのでしょうか?

高倉)僕のアクションの構築法ですが、台本が出来上がってきて、一回目を読んだときに(頭の中でアクションの設計図・イメージが)もう全部出来てしまいます。「もうこれしかない!」と決まったら、(その後どんなに第一回目のアクションイメージを)変えようと思っても変えようがないんです。つまり「一回目の本読みの段階で(頭の中で完璧に)映像が出来上がっている」ので、そのままリハーサルに入る。そして細かいところを微調整しながら振付に入る。一回目の振付で俳優さんがそれを覚えるでしょ? 二回目は平常のスピードでやって、三回目は(ハイスピードの振付の)本番と。

−−たった二回のリハーサルで、もう本番へ入るのですね。速い…。

高倉)普通です。僕らの時代はそれが普通でした。今はなかなか熟成した俳優さんが出てこないし、僕らの時代ではなかなか(撮影)現場へ出していただけない時代だったから。仕上がって「お前だったら(このアクション、完璧に)いける(出来る)な?」という状態にならなければ(現場へ)出さないんですよ。若いの(俳優)が40〜50人もいるなかでは競争率も高いし、現場へ出られるようになるのは本当に大変なんです。…先ほども言ったとおり、最初の本読みで(僕の頭の中ではアクションの)映像は、映画でもテレビ時代劇でも全部出来上がってますのでね。その代わり45分のドラマだったら、本読みもピッタリ45分は掛かります。ということは、アクションをつけるとしても“肌感覚”で、「このシーンの尺は何分で、カッティング・編集したら中身は3分だな」と大体判るんです。

−−高倉先生は多岐に亘る古武道に精通していらっしゃるわけで、そういう意味では各シーンのシチュエーションに合致した、何パターンもの殺陣・擬斗のイメージが、瞬時に湧いていらっしゃるのかな?…と。

高倉)アクションの構築はすぐ出来てしまうんですが、例えば(その人物が)「どういう生まれで、どういう育ちをして、どうなったのか。どういう時代にどんな武道をやっていたのか」という人物像(設定)と殺陣プランを細かくして、作品のストーリーにハメ込んでいくんです。だから僕が殺陣師としてデビューしたばかりの頃、「あいつ(高倉氏)の殺陣は斬新だ」と誉めていただけました。今までの殺陣師さんは、自分が現場で覚えた殺陣だけでやってましたけど、僕は(琉球)空手や色々な武道をやってきましたから、それをアレンジすると、それまで見たことがないようなアクションが出来上がるんです。だからこれまで(プロデューサーなどから)「(高倉氏の殺陣は)えらく斬新だな!」と重宝がられ、殺陣師として永く使っていただけたんだと思います。

−−『シルバー仮面』では第1話から一貫してハイレベルな擬斗を披露してくださった高倉先生ですが、“番組自体の設定”が視聴者から受け入られなかったのでしょうか、裏番組の『ミラーマン』(1971年12月5日〜1972年11月26日/フジテレビ系/出演:石田信之・宇佐美淳也・和崎俊哉・工藤堅太郎・杉山元・市地洋子・沢井孝子 ほか)に数字的に後れを取ってしまいます。

高倉)『ミラーマン』はノブちゃん(石田信之氏)のやつだね。シルバーを等身大でやろうと巨大化でやろうと、それはプロデューサーの意向が強く働きます。それには経済的な事情も入ってきます。(視聴率が獲れなくて)等身大シルバーがジャイアントになると、アクションが物凄く楽になるんです。それだけ大きな者になると、腕をひと振りしただけでビルが吹き飛んでしまう重々しい演出が出来るけど、等身大だとどうしても全てが軽くなっちゃう。ジャイアントになれば、フィルムのスピードを変えたり魚眼・高角レンズを使ったりして色々な撮り方が出来るのに、等身大シルバーだとそれも出来ないんです。

−−加えて、大きな路線変更の結果、“ジャイアント編”(第11〜26話)では、ベルトのバックルから鞭・鎖鎌・剣・槍などの武器を取り出して戦うシチュエーションが増えましたね。まさしく高倉先生が道場で使っていらっしゃる武器群そのままで。

高倉)“エモノ(得物。武器全般の隠語・俗語)”を持つとね、(近景に武器が来るので、マスクの中から対象物=敵星人が)見えにくくなってしまって、逆に大変なんですよ(笑)。これ(シルバー仮面ジャイアントのマスク)はよく見えてるように思われますけど、(目の部分の)中に明かり(電飾)が仕込んでありますから(マスクの)中でハレーションを起こしてしまうんです。

−−そうですか。それから加藤寿さんもおっしゃっていましたが、シルバー仮面ジャイアント(マスクの)の目の穴と、ご自身の目の位置がズレてしまうので、その2つを合わせながらアクションをするのが、とても大変だったそうです。

高倉)そうそう、(マスクの目の穴と、自分の目の)位置がなかなか合わない。

−−そうなりますと、おそらくは“ジャイアント編”になってからの方が、NGも増えたのかも知れませんね。

高倉)そうですね。それからジャイアントの衣裳は、とにかく暑いんですよ! だから長い時間アクションが出来ないんです。アクションそのものは、ひと息で出来るもの、ふた息で出来るもの、さん息で出来るものに分かれるんですが、衣裳とマスクを着けて「もうこれが限界だな」というところのちょっと手前までしか、呼吸が出来ないんです。だからカットを割るようになる。僕らはなるべくカットを割るのを良しとしないんです。映画というものはワンカットで撮るのが元来の姿。それがどんどんカットを割るようになって、カットが変われば照明も変わるし時間も掛かるようになるんです。アクションそのものは、(等身大)シルバーもジャイアントもそんなに変わらない。(ジャイアント編では)衣裳が特殊で長い時間撮影が出来ないため、カットを割らざるを得なかった。そこが一番苦労したところですね。

−−高倉先生は特撮部分と並行して、主要キャストの皆さんにも擬斗をつけていらっしゃるわけですが、当時、撮影所・ロケ先・プライベートなどで、皆さんとはどんな想い出がございますか?

高倉)あのね、もう呑むことばっかりでしたね(笑)。ロケーションへ行けば呑むし、狛江の(日本現代企画)撮影所の近くでも呑むし。(『シルバー仮面』)主役の柴俊夫さんは、シルバーのあとに僕が殺陣をやったNHKの『新・坊っちゃん』(1975年10月17日〜1976年3月26日/NHK総合/出演:柴俊夫・結城しのぶ・西田敏行・下条アトム・河原崎長一郎・三國一朗・園田裕久・林寛子 ほか)でも主役で、また一緒でした。『西部警察』でもまた一緒で。シルバーの頃は柴さんのことをあだ名で“ボクちゃん”って呼んでたんですよ。『新・坊っちゃん』の現場で「おい、ボク!」って呼んだら、柴さんは「高倉さ〜ん、やめてくださいよ〜。もう“ボク”じゃないですよ〜」って、言ってましたけど(笑)。彼は非常に感性が豊かで、アクションをしていても細かいところまで気が行き届く方でしたね。それから思いやりのある方だから、アクションで鋭い部分がありながら、「自分がこういったら(相手が)怪我をするから引いてあげようかな」っていう優しい部分もあって、(『シルバー仮面』の)映像のなかでそれが表れていたのが、僕には解りました。柴さんは心が広い方なんだろうなぁ。

※編者註:浅草の結納品店で生まれ育った柴俊夫氏(1947年4月27日生)は、“春日兄妹”同様5人兄弟。男・女・女・女・男の末っ子で、長兄と15歳離れていることもあり、家族から溺愛されて育ったそうだ。柴氏が特に影響を受けたのは母親で「他人の悪口は言ったことがなく、他人のために気やお金を遣い、動物を可愛がる女性だった」とのこと(参照:中日新聞「家族のこと話そう」2015年3月1日付)。そんな心優しい母親の影響を色濃く受けた柴氏は、2007年「こどものための柴基金」を立ち上げ、俳優業の傍らボランティア活動にも精力的に参画している。高倉英二氏が『シルバー仮面』撮影時の柴氏について「心が広い方」とコメントされたことも腑に落ちる。
こどものための柴基金

−−なるほど、アクションにその俳優さんの性格がにじみ出てしまう場合があるんですね。柴さんが演じられた“春日光二”というキャラクターは「寡黙で前へ出過ぎず、弟妹たちを人一倍想う優しい人物」でしたから、主人公の設定と柴さんご本人の性格は、かなりの割合でリンクしていたのかも知れませんね。ところで、“変身前の春日光二”と“変身後のシルバー仮面”のアクションの癖を整合させるようなプランはあったのでしょうか?

高倉)それはね、俳優さん本人がつくるもんなんですよ。僕らはアクションの専門で「これはこれ!」と決めたらそれしかやりませんから、変身の過程では俳優さんの方が「これでいいですか?」と言って、こちらに合わせてくれます。

−−なるほど。春日兄妹の長男“光一”役の亀石征一郎さんについてはいかがでしょうか?

高倉)僕は亀石さんとはずっといい友達で、シルバーの後も僕が殺陣をやった『大江戸捜査網』や三船プロの『荒野の素浪人』なんかで、いい味の悪役で出てきてくれまして。その昔、彼が新宿の十二社(じゅうにそう。新宿区西新宿四丁目近辺の旧地名)で“侍(さむらい)”という居酒屋を始めたときも、お祝いしました。亀石さんとは親しく呑んでました(笑)。彼は東映のニューフェイスとして鍛えられてきましたから、しっかりした方で、その点では良い付き合いが出来ましたね。

−−大映ニューフェイスご出身、春日兄妹の三男“光三”役の篠田三郎さん。

高倉)彼は『ウルトラマンタロウ』(1973年4月6日〜1974年4月5日/TBS系/出演:篠田三郎・名古屋章・東野孝彦・三谷昇・三ツ木清隆・木村豊幸・津村秀祐・西島明彦・松谷紀代子 ほか)もやってましたね。この方はとにかく真面目! 非常にキチッとなさった方で、(台詞を完全に覚えて現場へ来るので)現場で篠田さんが台本を見てるなんてことは一度もありませんでしたよ。俳優として素晴らしい方です。

−−『シルバー仮面』の前には大映・東宝・東映・松竹の本編にも出演していらした、春日兄妹の長女“ひとみ”役の夏純子さん。

高倉)う〜ん…女優さんとの記憶はあんまりなくて。ゲストの方々のことも思い出せないです。ごめんなさい(苦笑)。

−−いえいえ。『シルバー仮面』編最後の質問ですが、高倉先生が出かけられたロケ地のなかで、特に印象的な場所をお教えください。

高倉)(山梨県)富士吉田かな? あの辺は暑くても雪が降っても、よくロケに行きましたね。使いやすいロケ地はもうスタッフがピックアップしてくれてますのでね。狛江の日本現代企画から近い多摩川なんかは、よく撮影に行きました。特に“五本松”の辺りね。その近くには(日本現代企画の)小さいオープンセットがありました。いやぁ、懐かしいですね(笑)!
−−翌1972(昭和47)年10月になりますと『アイアンキング』の放送が開始されます。「アイアンキングのエネルギー持続時間はたった1分」という設定や、石橋正次さん演じる“静弦太郎”がアイアンキングのピンチを助けるというフォーマットは特異ですね。

高倉)こいつ(霧島五郎・アイアンキング)は水を飲まないと戦えないんだよな。「よりによって、何で“水(がエネルギー)”なんだよ!」って思いました(笑)。『シルバー仮面(ジャイアント)』でのノウハウが活かせて良かったです。『アイアンキング』はね、時代劇の匂いや味をドンドン取り入れていった作品だったんですよ。というのも、静弦太郎役の石橋正次さんが新国劇(1917年、元.芸術座の澤田正二郎らによって結成された剣劇劇団。かつて島田正吾・上田吉二郎・大河内傳次郎・大友柳太朗・緒形拳・佐々木剛・石橋正次らが所属)にいたから、剣や鞭を使ったアクションが得意だったんです。(石橋氏の場合)「空手アクションでやれ!」って言っても、今の空手アクションのように足がビシッとは伸びないで 、足が曲がってるんですよ。でもそれはそれで勢いがあって良いし、とにかく“時代劇の感覚”を大いに取り入れてやりました。

−−石橋さん演じる(静)弦太郎が腰に携えている、特殊鋼製の“アイアンベルト”はサーベルや鞭になりましたね。サーベルを用いた擬斗ではどのような点に留意されたのでしょうか?

高倉)(サーベルの擬斗は)楽でしたよ。石橋さんは若い衆(若駒冒険グループのメンバー諸氏)に思いっきり“入れて”きましたからね。(敵・味方役の俳優の)両方が“エモノ(武器類)”を持っていると、擬斗がもの凄く楽なんです。“徒手空拳(手に何も持っていない状態)”が一番大変。その場合“エモノ(武器類)”の分まで身体だけで表現しなければならないから。でも“エモノ(この場合、アイアンベルト変形のサーベル・鞭)”を持ってると(表現の)幅は拡がるし、技もドンドン色々なものが出てくるようになります。

−−サーベルは尖っているし、アクションによってはシナるし、大変な危険が伴ったアクションだったと思います。

高倉)現場では(サーベルの尖端が敵役俳優の)衣裳を突き抜けるなんてことも、普通にありました。でもね、それはやっぱり“訓練(が大事)”なんですよ。逆に“胴(防具)”を入れたりすると、却って危ないんです。後年は千葉真一さんのところ(JAC。現.JAE)もプロテクターを着けてアクションしてますが、それを着けるとどうしても「相手に当りに行っちゃう」んです。当る瞬間に力が入ってるのがよく判っちゃう。だから(“胴”を着けるか着けないか)どちらが良いとは言えないけども、“訓練”でコンマ何秒かの攻撃をかわせるような動体視力を養っていかなければならないと思います。僕のところ(若駒冒険グループ)は“胴”を使わずにやってましたね。

−−石橋さんとダブル主役である“霧島五郎”役の浜田光夫さんは、いかがでしたか?

高倉)「アイア〜ンショ〜ック!」って、やってましたね(笑)。人柄も本当に素晴らしい方でした。石橋さんとの対比で、浜田さんには敢えてトリッキーなアクションをつけました。浜田さんは「アイア〜ンセンチュリ〜!」な方でした(笑)。(トヨタ)センチュリーに乗って現場へ来てたんです。

−−実質的な主役である“静弦太郎”役の石橋正次さんは、どんな方でしたか?

高倉)石橋さんはそれはもう気風が良くて男っぽくて、現場でよくモテてましたね。ちょっと“おっちょこちょい”な部分はありましたけど(笑)。

−−石橋さんは新国劇で剣劇をお演りになってきた方ですので、高倉先生の(剣の)擬斗に対して、石橋さんが「高倉さんのそういう“手”より俺はこういう“手”にしたいんだ」というような主張をされることはありませんでしたか?

高倉)あのね、石橋さんには「ここはこうで、こうやろう」という“身体の癖”があるんですよ。僕がその癖を矯正するよりも、その癖に合わせたアクションを組む方がやり易いし、動き易いし、ナチュラルなものが出来るんです。僕がイメージした動きを彼に当てはめると、どうしてもぎこちなくなっちゃう。すると映像のことを考えるとマイナス面が多くなる。だから、石橋さんの身体の向きの癖とかに合わせた演出をしていくんです。

−−対するゲスト俳優さんや若駒冒険グループの皆さんは、“不知火族”“独立原野党”“宇虫人・タイタニアン”など、個性的な敵集団を好演されていましたね。

高倉)(“不知火太郎”役の)堀田真三さんは刀を持ってましたが、(“不知火一族”編は)時代劇の演出をしました。言うなれば「変身もの時代劇」。彼らは“不動明王のマーク”の道具を持ってましたよね。ロボットを操るコントローラー? あれからして、もう時代劇ですからねえ。(“幻の月光”役の)村松克巳さんは“黄色い声”を出すひとで、楽しい方でした(笑)。

−−日本現代企画さんの作品は、他社と比べても、撮影現場で死傷者が出ても何ら不思議がない、尋常でない量の火薬・ガソリンを使用していました。

高倉)(『シルバー仮面』第1話で発生した、チグリス星人スーツアクター)戸知(章二氏)の火傷の事故から、もの凄く神経を遣うようになりましたね。とにかくもう怪我人を出さないように…と。でも(第6話で“高村ゆき子”役の)森川(千恵子)さんの衣裳と髪の毛に火が燃え移ってしまって。彼女はもう精神的に辛くなって、役を降りることになってしまったんです。

−−火の玉の大きさや、火の着いたガソリンが飛び散る距離が広範で、テレビの前で観ていて毎回ゾッとしました。ましてや現場のスタッフ・キャストの皆さんは、そんな危険な現場で毎日お仕事をされているわけですから、もう…。

高倉)『アイアンキング』の頃からでしょう、(多量の火薬・ガソリンを使った演出で)ドッカン!ドッカン!やるようになったのは。僕はその後、石原プロの『西部警察』で小林(正彦)専務と相談して、(沢山のクルマが大破する)カーアクションや炎の効果を使ったアクションをするんだけども、多分それは『アイアンキング』が元で、「いい加減な爆発じゃあ面白くない!」って思うようになったんでしょうね。
−−宣弘社さんは自社初の“巨大ロボット特撮作品”に着手、1973(昭和48)年4月に『スーパーロボット レッドバロン』がクランクインします。とてもファンが多い作品です。

高倉)レッドバロンには僕の弟子の永野(昭彦氏)なんかが入ってて、敵のロボットは車(邦秀氏)でしたっけ? 最初撮影所にレッドバロンの着ぐるみが届いたとき、「一体どれだけ(中から外が)見えるんだろう? どれくらい動けるんだろう?」と思って、(永野氏たちに)練習させました。車(邦秀氏)もそんなに身体が大きい方じゃないし。とにかく一回ロボットのマスクを被ってみて、動いてみることから始めましたよ。この作品の擬斗は、どうしてもロボット同士が体当たりでぶつかり合うものが多くなったね。(レッドバロンの着ぐるみは)アップ用の固いやつと、アクション用のラバーで出来た柔らかいやつがあったんだけど、柔らかい方はどうしても“光線の屈折率”が悪いうえに、人間が着ている服のように皺(しわ)が出てきちゃうんで、困りましたね(苦笑)。

−−敵の“鉄面党”に立ち向かうのが科学秘密捜査官の“SSI”。(講談社・刊「巨大ヒーロー大全集」のSSIメンバー掲載ページを示しながら)懐かしいお顔が揃っていますね。

高倉)主役(“紅健”役)の岡田(洋介)さんのアクションは、力強いし、しっかりしてました。最初はどうしても現場に慣れてないからあれだけど、中盤から徐々に慣れてきて、たちまち上達しましたね。慣れてくると(組み合う相手に対する)遠慮がなくなるから、鋭いもの(アクション)が生まれてくるようになりました。

−−加藤寿さんのように高倉先生と意思の疎通が出来ている俳優さんは別として、岡田さんのようにドラマ出演自体が初めての方には、撮影に入る前に何か特別な指導をされたのでしょうか?

高倉)出演者の皆さんに対しては、(日本現代企画の狛江)撮影所の前…オープンセット・ステージの手前辺りで、その日の撮影前に特訓をしましたね。岡田さんは“好青年”というイメージが非常に強い方です。自分からしゃしゃり出て「俺が俺が!」というタイプの人じゃなかったから、大下(哲矢)さんとか皆で、岡田さんの背中を押して「主演がドンドン前へ出てカッコ良く映らないとダメなんだから、もっと良く映る位置まで来なさい!」と、指導しました。彼は控えめな人だから、いつも一歩引いた位置にいたんです。

−−遠慮して前へ出てこない岡田さんを後押ししながら、SSIリーダー“大郷実”ボス役を重厚に演じられた大下哲矢さん。

高倉)彼はね、昔から柔道をやってたんです。だから大下さんには背負投げ・内股・巴投げとか、柔道技に対応した殺陣をつけました。前にもお話したとおり「現場で俳優さんの個性(や武道の経験)に合わせた技(殺陣)をつけていく」のが、僕のやり方なんです。大下さんはとにかく身体が大きかったね(笑)。

編者註:大下哲矢氏の父上は平塚柔道協会・第四代会長を務めた生粋の柔道人であった。幼少の頃から厳格な父上に稽古をつけられてきた大下氏はメキメキと実力をつけ、高校当時183センチメートルの長身選手として「向かうところ敵なし」。逗子開成高校柔道部主将として部員を束ね、神奈川県代表として高校国体にも出場している。その後法政大学へ進学、在学中演劇に目覚め、卒業後“大下哲也”という芸名で松竹からデビューした。名門・逗子開成高校柔道部主将として後輩たちを牽引する若かりし大下氏の姿は、卓越した指導力をもって部下を牽引するSSI・大郷ボスとリンクする部分が多かったのではなかろうか(参照:HIRATUKA市民ジャーナル)。

高倉)この作品で凄いのは、あの時代(1973年)まだ“指紋・掌紋認証システム”が映画にも使われてなかった頃に、レッドバロンを動かすためにその設定を取り入れてたことですね。当時は「後世“指紋・掌紋認証システム”は一般的なものになるだろう」だとか、全然思わなかった。今はパソコンなんかでも(認証システムが)当り前になってるもんね(笑)。大下さんの話に戻るけど、あの方は身長が183センチ(メートル)もあって、なかなか皆をまとめるのが上手で、素晴らしい包容力をもった方でしたね。大下さんは今、何をされてるの?

−−2013年秋に都内で“バロン座談会”を企画させていただきました。そのオファーのため大下さんのご自宅を訪ねましたら、実妹さんがご対応くださいまして、「兄(大下氏)は何年も世界中を旅していて日本におりません。旅先からたまに届くハガキが唯一の生存の証です」とおっしゃっていました。

高倉)ああ、そうなんだ。大下さん、中東の方へ行ってなきゃイイけどねぇ。あそこは今、世界中で一番危険な場所だからさ。

−−本当にその通りですね。ギャグメイカーであり、また視聴者である少年少女の良き“兄貴”的キャラクターとして設定されていた、“堀大作”役の保積ペペさんはいかがですか?

高倉)(保積)ペペのことは『レッドバロン』出演よりずっと前から知ってるのよ。彼は子役でしたからね。(擬斗では)ぺぺが自分から転がって「ありゃりゃ〜〜!」なんてズッコケた台詞を言わせるような、トリッキーな動きをつけました(笑)。大体僕がそういうシチュエーションをつけると、ペペが自分からドンドンそれを膨らませてくれましたね。彼は芝居に長けてましたし、(スタッフ・キャストの)皆から本当に可愛がられてました。現場はいつもとてもいい雰囲気でしたよ。

−−メカロボの頭をポカポカと殴ったり、滑り台から滑りながら戦ったり、長梯子に敵を挟んで回したり…(笑)。

高倉)そうそう、「(メカロボを)かじっちゃえ!」みたいなアクションもつけました(笑)。

−−“若駒冒険グループ”の後輩で、“シルバー仮面”や“アイアンキング”のスーツアクターも担当されていた、SSIのクールガイ“坂井哲也”役の加藤寿(ひさし)さん。

高倉)はいはい。加藤とはもう30数年会ってないのかなぁ…。

−−加藤さんを驚かそうと思って、高倉先生からインタビューのオファーをいただけたことを、まだ加藤さんにはお知らせしていません(笑)。

高倉)あぁ、そうなの(爆笑)? 僕が今回インタビューに応じたことを、もし彼(加藤氏)が知ったら物凄く驚くと思うよ。だって、僕が取材に応じてこなかったことを彼も知ってるはずだから。

−−そういう意味では今回取材をご快諾いただき、本当にありがとうございます! 高倉先生が加藤(寿)さんをスーツアクターとして重用されたことを鑑みれば、先生は後輩の加藤さんに絶大なる信頼を置いていらしたかと。

高倉)うん、俗に言うと「可愛がってた」ね(笑)。僕と加藤は歳がそんなに変わらないん(高倉氏は加藤氏より5歳年上)だけど、ちゃんと教えるべきことは全て教えてました。要するに「(業界で)どうやって生きていくか」という“俳優道”ですね。「役に就いたときには力を出し惜しみせず、怪我することも厭わずに、全力で取り組め!」…みたいなことを言いましたし、実際彼も映像の仕事に入ったらその通りにやってくれました。(加藤氏は)非常に頭が切れる賢い奴でしたね。ただ(SSIメンバーの中で)加藤だけがアクションで抜きん出て、主役の岡田(洋介)さんより目立って、良く映ってしまってはいけないわけです。あくまで“メイン”の岡田さんを前面に押し出して作品を売っていかなければならない。加藤も大下さんもペペも牧れいさんも、みんな“サブ”。そういう感覚で(擬斗を)つけないと、(キャラクターの)バランスや作品の方向性が違ってきてしまいますから、殺陣師の僕がそのバランスを取らなきゃならないんです。

−−深いですねぇ。そして紅一点となる“松原真理”役の牧れいさん。女性マネージャーさんが同席されているなか失礼ですが、当時アクションとともに、彼女の“パンチラ”も作品の魅力のひとつになっていたとか。

高倉)牧(れい)さんは“中身が見えても大丈夫なパンツ”を穿いてたと思うよ。だって僕は彼女に「見えても大丈夫なパンツ穿いてこい!」って言ったもの。

−−“バロン座談会”席上、牧さんご本人のお話によれば、当時少なくない視聴者たちから「真理のお色気シーンをもっと(入れろ)」という要望が、テレビ局へ沢山届いたそうですから、プロデューサーも監督もそれに応じたのでしょうね。

高倉)脚本家の方と一緒に酒を呑んでいるときに、「頭(カシラ=高倉氏)、牧さんの蹴りをもっと多用してくれる?」って言われて、「はぁい、分かりました」と答えて、それで牧さんに「見えても大丈夫なパンツ穿いてこい!」って言ったわけ。彼女はアクションが得意でしたね。ある話(第34話)で、牧さんが敵と決闘するシーンがあるんですよ(アンドロイドサーシーとの一騎討ちシーン)。その辺りから(真理が)鞭を遣うアクションを特に増やしたという気がするね。「途中から(真理に)何かを武器を持たそうよ」っていう話になって、それで鞭を遣うのが定着したって感じです。

−−高倉先生からご覧になって、牧れいさんはどんな女優さんでしたか?

高倉)“紅一点”という設定だったけど、“紅(女性らしさ)”はないんです。彼女は男…いや、“少年”といった感じの方でしたね。

−−円谷プロ作品の現場で、牧さんは男性キャストが近くにいても平気で着替えをしていらしたそうです。

高倉)そんなの彼女、平気ですもん(笑)。キャストも我々スタッフも、(彼女のことを)女として見てませんでしたもん。彼女は所謂“少年”でした。牧さんは女性であることを自分で全面に打ち出してらっしゃらなかったし、僕も(擬斗スタッフとして)全く遠慮しなかった。だから、あれだけキレの良いアクションになっていくんです。彼女は本当によく脚が上がりましたね。

−−牧さんは現在もジム通いを実践していらっしゃって、今でも脚がかなり上がるそうです。「ジムより高倉先生の道場へ通われればよいのに…」と、個人的には思いました。

高倉)(爆笑)。

−−往年の銀幕スターのおひとりでもあった“熊野一平警部”役の玉川伊佐男さん。

高倉)玉川さんには“傘”を遣った演出をしました。当時の外国のジェントルマンはお洒落な細いコウモリ傘を持ってたんです。その連想から(熊野に)傘を持たせることに決まったんじゃないかな。僕はシリアスな作品の頃から玉川さんに殺陣をつけてましたから、当時すごく親しくしていただきました。「エイちゃん(高倉氏)、このシーンはこう演るぞ」「はい、お願いします。ただ次のこのシーンは難しいので、こう演っていただけますか?」っていう感じで、何の衒(てら)いも遠慮もなく、話が出来た方でした。

−−“バロン座談会”の席上、鈴木清監督が「玉川(伊佐男)さんのお人柄は素晴らしかった」旨、語ってくださいました。

高倉)そうそう、玉川さんは本当に人柄の良い方でしたよ。

−−玉川さんはもう10年ほど前にお亡くなりになっていますね。残念です…。『レッドバロン』は第2クールの最後に、大郷ボスと大作が相次いで殉職、大下哲矢さんと保積ペペさんが降板なさってしまいます。お二人の後任を務めたのが“三神四郎博士”役の潮哲也さんでした。

高倉)潮さんともシリアスな作品の頃から付き合ってますからね。だから息が合ったし、大下さん・ぺぺ・潮さんの“交代劇”もスムーズでしたよ。その当時の作品は、人物が代わってもプロデューサー・監督をはじめ一同のフォローが出来てましたのでね、ドンドン前へ進んでいって(ドラマが)停滞しませんでした。潮さんの場合には、空手のアクションをつけるのが一番スムーズな形だった。ノリの良いアクションは、自然と“打突”に投げ技が一〜二手挟まって、非常にインパクトのある形になっていきます。

−−なるほど。とにかく我々ファンが『レッドバロン』のアクションを観て感心したのは、“SSIメンバーひとりひとりの個性に合致したアクションが演出されている”点です。

高倉)つまりは“育ち”。「このひとはここの出身で、こういう特技があるから、こういうアクションをさせる」。そういうことなんです。それがないと相手に(擬斗を)つけ難いんですよ。

−−“目から鱗”です。

高倉)(笑)。俳優さんの出身が分からないときは、じっくり考察して自分で“相手の出身”を創り上げるんですよ。そのうえで「この俳優さんはここの出身でこういうキャラクターだから、こういうアクションで合わせていこうか」という流れで、アクションが出来上がっていくんですね。

−−「君、スポーツは何が得意なの? 武道は何かやっていたの?」という情報収集をもとに、その俳優さんの持ち味や資質に最も適合する、ナチュラルで迫力あるアクションを構築していく…ということなんですね。

高倉)そうそう、そういうこと。

−−納得しました。第26話、鉄面党ボスのデビラー総統が大下(哲矢)さん演じる大郷ボスと相討ちになり、第3クールからはギラスQ率いる“宇宙鉄面党”が新たな敵となります。敵の武器はメカロボの鎌から、銀色フランケンシュタイン・マスクの戦闘員が持つフェンシングのサーベルになりました。

高倉)今度は宇宙から来たか(笑)。フェンシングのサーベルは尖端を潰してはありますが、本物を使ってますからね。戦闘員のマスクは視覚は悪いけど、サーベルの尖端が顔に当っても安全ではあるね。

−−フェンシングのサーベルはアクションの際に、クニャッと“シナる”ので、立ち回りを観ていてゾッとします。劇中、牧れいさんの目尻にサーベルで突かれた傷がありましたし、加藤(寿)さんの手の甲にも明らかにサーベルによる傷跡が確認できました。

高倉)シナったサーベルに対し、受ける方(SSIメンバー役の俳優諸氏)もシナった分を計算して躱(かわ)さなければいけないんですよ。相手が突いてきた時に(紙一重で受けて)、剣先が自分の背中にまわるような感じで躱(かわ)すアクションをつけます。フェンシングのサーベルとか何か“エモノ(武器)”を持たせると、俳優たちは皆、活き活きしてきますよ(笑)。今、子ども番組ではカンフーアクションが台頭してきて、活き活きしてやってますけど、何故「タンタンタン!」って手先だけの殺陣になるかっていうと、僕らのように肉体全体でやると身体が持たないからなんですよ。僕らの頃は肉体全体でやるアクションが主流でした。最近の『仮面ライダー』のように、手で「シュッシュッシュッ!」 とやるような上腿に重心があるアクションだと、あんまりエネルギーを使わないで済むんです。僕らのは下半身を使ってやるようになってるから、エネルギーが大変なんですね。とにかく“エモノ(武器)”を持つと、(若駒冒険グループの若い俳優たちが)活き活きしてたのが印象的です(笑)。

−−そういう意味では牧れいさんが持つようになった鞭も“エモノ(武器)”ですが、あれは身体に当ると相当痛かったと思います。ところで、“バロン座談会”で牧さんがおっしゃっていたことですが、「ある時期から監督から『キエ〜ィ!』とか声を出すように指示された」そうです。それはやはり、当時流行したブルース・リー映画ブームが影響しているのでしょうか?

高倉)そういうことです(笑)。僕は銀座の宣弘社本社の一室で小林(利雄 前)社長から、ブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」を観せられたんです。そして「これを観て考えろ!」と言われました。メインスタッフも田村(正蔵)さん・福原(博)さん・外山(徹)さんなんかは、宣弘社・監督部のバリバリの生え抜きですから、勿論同じ映画を観せられてました。『レッドバロン』が終わった後、僕らは倉田保昭さん主演の『闘え!ドラゴン』という番組が始まる3カ月前に、先に香港へ行ってカンフーを勉強してたんですよ。それで一回帰国してから、またロケ隊と香港へ行きました。僕は元々“空手使い”ですが、その時にブルース・リーの弟子の“ブルース・リャン”と(模擬)試合をして、その後彼に出演してもらったんです。とにかく『レッドバロン』のアクションにカンフーを入れることは、小林(前)社長からの厳命でした。でも初めて「燃えよドラゴン」を観た時はショックでしたよ。「うわぁ…これは参った。敵わないぞ」と。つまり映画すべて、ブルース・リーも絡んでいる中国人たちも、全員が本気(の立ち廻り)なんですよ。ストーリーに絡んで目も身体も“本気”でやってる。『レッドバロン』の頃は丁度カンフーが台頭してきて、華やかになってくる最初の時期でしたが、勿論僕らスタッフもキャストも“本気”でしたよ。それぞれが「餅は餅屋」で“本気”を出してやってましたから、ファンの皆さんは(それを感じて)夢中になってくださったんだろうし、今も『レッドバロン』が愛されてるんだと思う。

−−40数年経って、いま『レッドバロン』や『アイアンキング』のアクションを“大人の目”で観直しても、背筋がゾクゾクするような高揚感があります。

高倉)(マネージャーさんに向かって)ほらほらほら、ね(笑)。僕ら真面目にやってたんだからね。
−−『レッドバロン』が終了してから約半年後(1974年10月)に、『スーパーロボット マッハバロン』の放送が始まります。『レッドバロン』と比較して、特撮シーンの比率が増えた代わりに、アクションシーンがかなり減ってしまいました。

高倉)この作品ではね、(アクションシーン激減のため)僕は「必要な時だけ(現場へ)行く」みたいな感じでした(笑)。台本をいただくと、「その中のこの(アクション)シーンだけでいいですよ」と、監督に言われて。まぁ、この作品も日本現代企画さんや(一部の)宣弘社さんの仲間がやってましたから、「頭(カシラ=高倉氏)、明日現場へ来てくれる?」「ハイよ、大丈夫。行くよ」ってな感じで、お手伝いでやってました。

−−それで『マッハバロン』に限って、高倉先生のお名前がクレジットされていないんですね。日本現代企画さんは初めて“単独制作”を行い、宣弘社さんが制作に絡まない形で進めています。(講談社・刊「巨大ヒーロー大全集」の“ロボット帝国”紹介ページを示しながら)敵の戦闘員はアメフトのユニフォームのような恰好をしていました。

高倉)現代的なデザインになってきたね。この時のアクションは“肉弾戦”をイメージしてつけました(笑)。彼ら(ロボット帝国戦闘員)はマシンガンを持ってたけど、それ撃っちゃったらアクションにならないからね(笑)。(KSSメンバーが)それを掃(はら)うか奪うかのアクションを織り交ぜました。稲城の梨畑の奥の崖のところ(特撮マニアに“三栄土木”と呼ばれている有名なロケ地。「こちら特撮情報局」内コンテンツ“特撮ロケ地巡り(第5回)”参照)を、僕らは“東宝オープン”って呼んでたんです。あそこは東宝の映画のオープンセットとしても使われてたから。切り立った崖の近くにお寺(雲騰山 妙覚禅寺)やお墓(通称“ありがた山”。同上“特撮ロケ地巡り(第8回)”参照)があってね、あの頃そういう(特撮)番組は大体あそこで撮ってました。火薬を使う撮影は殆どあそこです。

−−あの場所は1970年代の特撮番組ロケ地の中で、一番有名な場所かも知れません。『マッハバロン』には九州ロケ(第21〜24話)がありましたが、高倉先生は同行されましたか?

高倉)僕は九州ロケには行ってないけど、鬼怒川のロケには行ったかな? 『レッドバロン』の時は、浜名湖や(富士宮市内の)朝霧高原、自衛隊の演習場(裾野・御殿場)なんかにも行きました。

−−静岡県括りだと『レッドバロン』(第9話)では天城湯ヶ島町もロケ地でした。

高倉)行った行った! 天城湯ヶ島のあの2階建ての宿(浄蓮荘)は、1階より2階の部屋の方が高級だった(笑)。裏手の川の方にプールなんかもあってね。僕はいろんな番組(の殺陣・擬斗)をやりましたけど、やり過ぎちゃって、僕の人生の中では(特撮番組は)ほんの1ページに過ぎないんですよ。だから思い出せないことも沢山あって、ご免なさいね。そういえば『シルバー仮面』の次にやった『トリプルファイター』なんかは大変でしたよ! あれはトンデモナイ番組だった(笑)。

−−10分番組が週5本の体裁でした。荻原(紀 ただし)さん・戸知(章二)さん・車(邦秀)さんが正義の側を、小坂(生男)さん・久保田(鉄男)さんが怪人を演じていらっしゃいました。

高倉)(若駒冒険グループの)主だった連中が、皆(着ぐるみに)入ってやってましたよ。あれ(トリプルファイター)は3人が(合体して)1人になるんでしょ? 3人(グリーン・レッド・オレンジの3ファイター)バラバラの時はそれぞれ個性を出せるわけだけど、その3人が合わさって1人になった時に、どんなアクションをつけようか困ったね。それが一番大変でした。最初「3人が肩車して転がったら1人になる」とか(の演出を)考えました。実際にはどうやったか忘れてしまいましたけどね(笑)。

−−実際には3人がジャンプして、空中で円陣を組んで(玉虫色に輝く極彩色特撮処理で)合体する…といった演出だったと思います。

高倉)ああ、そんな感じだったかも知れない。殺陣はね、途中まで宇仁貫三(うに かんぞう)さんがやってたんです。宇仁さんはもともと東宝の大部屋(俳優)で、田中浩さんたちと“七曜会”っていう殺陣の会をつくってたんです。その方々が三船(敏郎)さんの周りで側近の絡みをやってました。それで宇仁さんが(『太陽にほえろ!』ほか)あっちこっちの現場へ行くようになって、宇仁さんから「(『トリプルファイター』の)後をやってくれないか?」と頼まれました。宇仁さんは“仲間”ですから断るわけにはいかない。いま宇仁さんは『鬼平犯科帳』なんかの殺陣をつけてます。

−−そうだったんですか。『マッハバロン』には参加しなかった宣弘社さんが、同年『闘え!ドラゴン』を制作しています。高倉先生は“擬斗”として参加していらっしゃいますが。

高倉)あの頃は、いくつも番組を掛け持ちしてて“テッパリ(超過密スケジュール)”でした。『闘え!ドラゴン』は第1話から香港ロケだったんだけど、香港空港に近い場所で撮ってもらって、そのまま(香港)空港へ行ってすぐ搭乗手続きして、日本へ帰ったらその足で三船プロの作品(『大江戸捜査網』)に入ってました。その頃、大映出身の池広一夫監督が『大江戸捜査網』を撮ってましたので、どうしても僕が殺陣をつけなきゃならなくて、それが終わったらその足で羽田空港へ行って、また香港で撮影して、一泊だけしてまた帰国して…というような生活でした(苦笑)。

−−お気持ちお察しいたします。『闘え!ドラゴン』香港編には、倉田(保昭)さんはもとより、ブルース・リー関係者のブルース・リャン氏やヤン・スー氏も出演していらっしゃいましたね。

高倉)そうそう。(『闘え!ドラゴン』撮影の合間に撮った写真をご披露くださり)このブルース・リーと同じ髪型してるのが(マジン・リャン役の)ブルース・リャン(梁小龍)で、真ん中にいるこれが僕ね。まだこの頃は髪の毛が沢山あってフサフサしてた(爆笑)。(この画像はマネージャーの)平岡がツイッター(十二騎 番外編)に載っけてくれたらしいけど。

−−高倉先生、お優しいお顔をなさっていらっしゃいますね。先生のイメージは、『アイアンキング』の頃の逆三角形の身体をアーミーキャップ・サングラス・タンクトップに包んで…みたいな強面の印象が強かったものですから(笑)。

高倉)僕は軍帽がよく似合うんですよ。(講談社・刊「巨大ヒーロー大全集」185ページのメイキングアルバムに掲載されている、『アイアンキング』の現場にて石橋正次氏に立ち回りの指導をするご自身の雄姿をご覧になりながら)あ〜、これ僕だ(笑)! ショウちゃん(石橋正次氏)に僕が(擬斗を)つけてるところだ。間違いないです。(『スペクトルマン』のページをご覧になりながら)こっちが上西弘次さんね。彼はウルトラセブンにも入ってた。

−−日本・香港を行き来する非常にタイトなスケジュールのなか、『闘え!ドラゴン』は撮影されたわけですが、この作品の擬斗についてお教えください。

高倉)倉田(保昭)さんがもともと日芸(日本大学芸術学部)空手部の出身だったものですから、空手アクション(をつけるの)は、もの凄く楽でしたよ。僕なんかは“糸東(しとう)流”と“剛柔流”(の空手)をやっていて、倉田さんの日芸空手部は確か“糸東(しとう)流”だから、同じ型でやり易かったんです。倉田さんは元々、日活の井上梅次監督の紹介で、日本のアクションの連中20〜30名が香港のショウ・ブラザーズへ呼ばれた中のひとりで、彼は香港で“悪役スター”になったんです。またその中に僕の“剛柔流”時代の同門の“染野(行雄氏)”という男がいまして、彼は香港でプロデューサーをやったり、仕入れたフィルムを国内のあちこちで販売したり、日本のロケ隊のコーディネートなんかもしてます。

※編者駐:染野行雄氏は、日本で最も中国映画ビジネスに精通しているプロデューサー。1986年に香港現地法人「染野企業電影工作室」を設立し、日本・香港を拠点にして日中製作の映画・TV作品のプロデュースを行っている。 ブルース・リーに関する逸話を多く知る日本人としても周知されており、 ブルース・リーのドキュメンタリー作品『李小龍風采一生』のプレミアム試写会(2012年)に、ブルース・リーに所縁のある関係者として日本人で唯一香港政府から認められ招待された。日本のテレビドラマでは『Gメン'75』の香港シリーズで擬斗を務めている。

−−先ほど、『闘え!ドラゴン』と『大江戸捜査網』のスケジュールの関係で、一日ごとに香港・日本を行き来していらしたというお話をお聞きしました。1974(昭和49)年ですと、もう杉良太郎さんが主役を降板されて、里見浩太郎さんに代わっていた頃でしょうか。

高倉)そうそう。僕は杉さん(降板)の後に、『大江戸捜査網』の殺陣をやりました。『大江戸〜』では杉さんとはご縁がありませんでしたけど、別のドラマでご一緒してるような気がします。『大江戸〜』は約700本やりましたけど、途中かたせ梨乃さん主演の時代劇『女無宿人 半身のお紺』(1991年1月6日〜3月31日/テレビ東京系/出演:かたせ梨乃・本田博太郎・下川辰平・萩原流行 ほか)の仕事が入ったので、宇仁(貫三)さんに少しの間『大江戸〜』を任せていたら、プロデューサーから「すぐ帰って“大江戸タッチ”でやってくれ!」と言われて、また『大江戸〜』に戻りました。
−−『大江戸捜査網』も永く担当されましたが、並行して松田優作さんの『探偵物語』(1979年9月18日〜1980年4月1日/日本テレビ系/出演:松田優作・成田三樹夫・山西道広・竹田かほり ほか)も担当されましたね。

高倉)優作と『探偵物語』やったなぁ…。あのね、下北沢に“南口サウナ”ってあったんです。今はもうないけど。その頃、僕は世田谷代田に住んでて、仕事が終わるとそのサウナによく行ったんです。するとサウナルームの隅っこに、手足の長〜い男(松田優作氏)がいて、ボソボソ低い声で「…高倉さん、呑みに行きましょう」って、声を掛けてくるんです(笑)。それで優作と“将軍”っていう居酒屋というか焼き鳥屋へよく行って、呑んで、それでいろんな企画の話をしました。とにかく優作は勉強家だしアイディアマンだから、話が盛り上がってくると「よし、これから脚本家をここへ呼ぼう!」なんて言い出すんです。呼び出された脚本家にしてみると大変迷惑な話で、たまったもんじゃないですよね。 だってもう夜中の2〜3時ですもん(苦笑)。そんな時刻でも脚本家は(居酒屋へ)やって来るんです。優作が“本気”だから(笑)。今(の現場で)は「パートが違うから口を出しちゃいけない」みたいなことがあると思いますが、優作は全部(のパート)に口を出してましたから。

−−松田優作さんが、意見の一致を見い出せなかったある脚本家の方の襟首を掴んでいた…というエピソードは、某俳優さんからお聞きしたことがあります。

高倉)いやいや、襟首掴むどころか、気に入らないと相手を投げ飛ばしちゃうからね(笑)。ある時『探偵物語』の控室で僕が待ってたら、隣の部屋からボコボコボコ!って音が聴こえてきて、見に行ったら、2〜3人が優作に張っ倒されてましたもん。彼は作品を愛してるから良いものにしたいんです。その強い気持ちはもの凄かった!

−−松田優作さんのバイオレンスなまでの熱さは解りましたが…高倉先生は大丈夫でしたか(笑)?

高倉)僕は(格闘技の)現役だったんで、全然大丈夫でした(爆笑)。とにかく当時の(『探偵物語』の)現場は、熱気でもの凄く暑かったです。

−−そして『大都会』シリーズや『西部警察』シリーズなど石原プロ作品の擬斗も、忘れられません。

高倉)どれも面白かったですよ(笑)、みんな“男の世界”だし“したい放題”でしたから(爆笑)。渡(哲也)さんも舘(ひろし)さんも全員、みな“本気”です! “日本全国縦断ロケ”をしまして、貴方が住んでる静岡の駅前にヘリコプターを降ろしたりもしましたけど(PART2 第10話「大追跡!!静岡市街戦 〜静岡・前篇〜」/ロケ実施日:1982年5月23日〜29日)、どこへ行っても群衆がロケ隊を取り囲んでしまうんで、整理の警察の方々が(石原プロ関係者に)「もういい加減にしろ!」って、クレーム入れてきたりしました。今は都内でロケをやるにしても、なかなか許可が取れないですね。一番危険だったのは、カーアクションと絡ませた殴り合い。これは“スタントマンと擬斗との融合”です。僕はカーアクションとボディアクションの両方をコーディネイトしてましたから、10年前に病気で亡くなった(“マイクスタントマンチーム”を率いていた)三石千尋さんと話し合って、机上でミニカーと図面を使って「ここで何秒のこういうアクションつけるから、こいつの立ち位置に、この軌道でクルマを(時速)何キロで入れて来てくれ」という風に、綿密に机上で計算してシュミレーションするんです。そうしないと現場で(“グループ十二騎会”のスタントマンが)戸惑いますのでね。

−−勝新太郎さんが監督を務められた映画「座頭市」(1989年2月4日公開/松竹)でもそうでしたが、撮影現場では、ときに些細なミスと思われることが原因で、怪我人や死人が出てしまいます。

高倉)その通りです。でも石原プロの作品では、カーアクション(マイクスタントマンチーム)もボディアクション(グループ十二騎会)も、誰一人として怪我人を出してないんです。これだけは自負してます!

−−カーアクション・ボディアクションの、どちらか片方の些細な時間的なズレが重大な撮影事故に繋がりますが、無事故は誇るべき素晴らしいことだと思います。ところで捜査課長・木暮謙三警視役の石原裕次郎さんはどんな方でしたか?

高倉)裕次郎さんはね、太陽のように明るい人で、何をするでもなく、ただ現場にいるだけで華やかな方だった。不思議な方で、自分でディレクターチェアを持って歩いて、自分でお茶を注いで、自分で作ったものを食べて、何の世話もかからないんです。多分“ヨットマン”だからでしょうね、自分のことは全部自分でやるように心がけていらっしゃったと思います。とにかく明るい方でした。

−−その裕次郎さんを補佐される、大門圭介部長刑事役の渡哲也さんは?

高倉)あの方は青学(青山学院大学)の空手部出身ですからね、当時も今も完全に学生の運動部のノリです(笑)。まさに“軍団長”で、全てにビシッビシッ!とした方です。素顔もドラマの大門刑事と同じですよ。監督やメインキャストで事前に脚本の打ち合わせをするんですが、いつも時間をかけて徹底的にやってましたね。それがないとあそこまでの作品にならないでしょうし、小林(正彦)専務という素晴らしい方がいて、水も漏らさない仕掛けをするんです。だから撮影を始めてから終わるまで、全てがピタッ!と計算どおり進むんですよ。撤収のときも塵(チリ)ひとつも現場に残さず、時間どおりに終わります。

−−まさに“軍団”を体現したかのような方々なんですね(汗)。その個性的な“大門軍団”の面々のなかで、高倉先生からご覧になって特に印象的な俳優さんは?

高倉)(“リキ”こと松田猛刑事役の)アキラちゃん(寺尾聰氏)も、(“タツ”こと巽総太郎刑事・“ハト”こと鳩村英次刑事の)舘(ひろし)さんも、どの方も皆、“自分の個性”というものをよく解ってたけど、拳銃を使ったアクションひとつ取っても、皆“競争”なんですよ。つまり「奴はキャメラにこう映るので、俺はこう映るんだ!」と。だから僕が擬斗をつける前に(大門軍団の刑事役キャスト)全員が本当の刑事になってて、もう仕上がちゃってるんです。撮影所入りして衣裳を着てる時にもう既に“本気(モード)”になってるから、現場ではもう絡みの(ゲスト)俳優さんがビビッちゃうくらい、皆“本物の刑事”になってます(笑)。
今のテレビの在り方は「売れてきたら芝居だけ出来ればいい。(俳優としての)地盤(ベース)は要らない」みたいなところがあるかも知れません。でも僕がここで道場を開いている理由がそうなんだけど、“日本人のDNA”である武士道・居合道・剣術・杖道・躰道(柔術)などがある程度までのレベルまで出来たうえで、ダンスなども出来たら“鬼に金棒”だし、そういう「本物の“日本人のDNA”を持った俳優が育ってほしい」と思ってるんです。武術を学ぶには、身につけるには大変な時間がかかります。僕が今まで芸能界で食べることが出来たのも、お世話になった多くの先輩がいたからで、とても有難いことなんですが、今やっている道場はその“恩返し”でもあるんです。

−−現在、高倉先生が“宗家”を務めていらっしゃる“正伝十二騎神道流(しょうでん じゅうにき しんとうりゅう)”について、お教えください。

高倉)古武道を少しでも解ってくると、自然と立ち居振る舞いが“凜”としてきます。それから“折れない心”が出来上がってきます。居合いとは「居(きょ)にあって急に合わす」と書くんです。どういう場合に於いても対応できる、素早さと肉体と精神を仕上げるのが“居合”なんです。(稽古を積んで)技が進化してくるとともに、心も進化してきます。無理せずに(素早さと肉体と精神が)全部出来上がって行きます。これは僕の方から自信を持って言えることです。「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉がありますけど、武士は死んだらいけないんです。5パーセントの武士が95パーセントの民を先導して行かなければならない。一族郎党、大事な者たちを守り導くために生きる責任があるんです。この流派は全部が“生きるための技”なんです。亡くなる瞬間まで元気でいることが古武道の原点かな? “体験予約”も出来ますから、ぜひ気軽に道場へ出かけてみてください。

−−本インタビューをご覧くださった方が、一人でも多く“体験予約”を申し込んでくださることをお祈りしています。それでは最後に、高倉先生の殺陣・擬斗に魅せられた全国のファン諸氏へのメッセージをお願いいたします。

高倉)特撮ドラマにしろ刑事ドラマにしろ、(自分が参画させていただいた時のような)こういう形の作品がまた生まれてきてくれることを常に望んでいます。制作プロダクションが少しでも生き残っていってくれて、映像がもっと羽ばたけるような世の中に、多分もう一度なってくるでしょう。“本物志向”に戻ってくるでしょう。いま部門部門で管理社会になってますが、また“(体制に迎合しないスタッフ・キャストの)お節介オジさん・お節介オバさん”が出てくる世の中になるでしょうから、あきらめずに待っていてください!

−−高倉先生、本日は貴重なお話を誠にありがとうございました。


2015年5月10日 東京都墨田区両国“正伝十二騎神道流”本部道場にて
取材・構成◎「こちら特撮情報局」奥虹

高倉英二(たかくら えいじ)

正伝十二騎神道流 宗家・殺陣師・擬斗師
1945(昭和20)年2月8日生、千葉県八日市場市(現.匝瑳市)出身。正伝十二騎神道流(しょうでん じゅうにき しんとうりゅう)宗家にして、日本を代表する殺陣師(たてし)の一人。幼少の頃より古武道(古武術)や琉球空手(唐手)に親しみ、“糸東(しとう)流”“剛柔流”空手をはじめ、古武道・剣道・合気道・日本拳法など、幾多の武術に精通している。
高倉が体得する数多くの武術は、若駒冒険グループ(のちに“若駒”)が映画・テレビドラマで活躍する際に大きな糧となり、また各種武術をアレンジした独自の殺陣・擬斗は、数多くの映画や時代劇・刑事ドラマ・特撮ドラマなど、広範なジャンルにおいて斬新な映像づくりに大いに貢献した。
2013年、自身の練り上げてきた武技と精神の真髄を広く伝授すべく、“正伝十二騎神道流”総本部道場を墨田区両国に設立。藤岡弘、氏・釈由美子女史から一般人まで、高倉の道場の門戸を叩く者は少なくない。
殺陣・擬斗・アクション監督作品は、『シルバー仮面』、『トリプルファイター』、『アイアンキング』、『スーパーロボット レッドバロン』、『闘え!ドラゴン』、『探偵物語』、『西部警察』シリーズ、『大江戸捜査網』、『江戸を斬る』、映画「化石の荒野」、「蘇る金狼」、「野獣死すべし」など、枚挙に暇がない。

総合古武術“正伝十二騎神道流”公式サイト
総合古武術“正伝十二騎神道流”公式ツイッター
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