いたいけで幼かった私たちが血や肉とした、懐かしき1970年代東映特撮作品群。
とりわけ故.石ノ森章太郎先生と故.平山亨プロデューサーという稀代の天才二人がタッグを組んだ『仮面ライダー』シリーズは、当初のディープな怪奇性がイレギュラーな事態(藤岡弘、氏の負傷)に起因する若干の軌道修正を経て、テレビ史に記憶される大ムーヴメントへ転化した稀有なケースという点で特筆される。
その“ライダー”と比肩する先進性とストイックなキャラクターが魅力を発揮した“等身大ヒーローの先駆”のひとつが、『人造人間キカイダー』であることは論を待たないだろう。故.石ノ森章太郎先生も大いに感情移入された、苦悩に満ちたデリケート・フィーリングな“キカイダー・ジロー”の成長譚は、“ライダー”のそれとはまた違った“孤独感”をもって、幼かった私たちの痛覚を大いに刺激した。
さて、実に多岐にわたる誌面で語り続けられ、そのボリュームも機会も枚挙に暇がない『仮面ライダー』シリーズ、『キカイダー』と較べ、『忍者キャプター』は些か不幸な作品だった。東京12チャンネル(現.テレビ東京)をメイン局に全国14局のみでの放送がハンデとなったのか、スポンサードの事情に因るのか、第43話をもって誰の目にも明らかな“打ち切り”を唐突に迎えてしまった本作。
たしかに5人チームの『ゴレンジャー』と比較しても、大所帯7人のキャプターたち一人ひとりの個性をじっくり描ききれなかった弱点は否定できない。しかしその点を差し引いても、『忍者キャプター』は、『仮面ライダー』シリーズや『キカイダー』にはない、視聴者のハートを温かくする不思議で陽性的な魅力、爽快感に満ち溢れる佳作であった(私見だが、同時期放送の『宇宙鉄人キョーダイン』も同質)。
今年2016年に、記念すべき放送40周年を迎えた『忍者キャプター』。その節目の年に、番組を支えたレギュラー、伴大介・佐藤宏之・堀田眞三の3氏と、筆者の20年来の恩人である『人造人間キカイダー』服部半平役・うえだ峻氏が、今回一堂に会してくださった(4氏には心よりお礼を申し上げます!)。
これまで商業誌などでは語られなかった 、思わず笑みがこぼれてしまう撮影秘話や、キャプター俳優諸氏の素顔、生々しい現場での確執をいかに乗り切って撮影が進んだのか等など、驚愕のエピソードがテンコ盛り! 『忍者キャプター』『人造人間キカイダー』ファン諸氏には、じっくりご一読いただきたい!
◎出席者(敬称略・順不同)
伴 大介(『忍者キャプター』火忍 キャプター7・出雲大介役、『人造人間キカイダー』ジロー役)
佐藤宏之(『忍者キャプター』風忍 キャプター6・泉敬太役)
堀田眞三(『忍者キャプター』風魔烈風・暗闇忍堂役)
うえだ峻(『人造人間キカイダー』服部半平役)
背景のモニターから『忍者キャプター』映像が流れる。ゲスト4氏、それをご覧になりながらランチ・談笑。
お久しぶりです、堀田さん。『忍者キャプター』は俺の作品というより、“風魔烈風”“暗闇忍堂”を演った堀田さんの作品だから (笑)。堀田さんがメインキャストですよ。
司会 最初、伴さん演じる“出雲大介”は、堀田さん演じる“風魔烈風”の部下だったんですね。悪に転じた烈風に大介が反旗を翻し、師弟が戦うことになった…という設定でした。
堀田 覚えてない(笑)。
(佐藤氏を堀田氏に紹介)泉敬太(風忍 キャプター6)を演ってた佐藤宏之くんだよ。当時一番ちっちゃかった(笑)。
堀田 立派になったねぇ(笑)。
佐藤 (笑)。
うえだ 『忍者キャプター』って、『キカイダー』の何年くらい後にやったの?
司会 4年後(1976年)です。
(『忍者キャプター』は)今年で放送40周年だからね。座談会取材の話を主催者さんからいただいて、琳(大興)くん(水忍 キャプター2・四条左近役)にも声をかけたんだけど、「腰を痛めた。当分歩けない」って言ってた。彼は道場(林家國際武術興道會)を主催してるから、稽古中、腰を痛めたのかも知れない。
堀田 高橋一俊さん(たかはし いっしゅん 本作殺陣師)も亡くなったねぇ。
(特撮)番組でお世話になった俺の周りの人は、ほとんど亡くなってしまった。悲しいし、困っちゃうよ。
堀田 監督では、どなたが?
田中秀夫監督や山田稔監督。(高橋)一俊さんが死んでしまったのが俺、一番困った。一俊さんが殺陣をやってくれた作品が一番多かったから。だから今『(仮面)ライダー』関連は一俊さんがいないから、殆ど岡田(勝)くん(現・大野剣友会社長)が見てる。仕切っちゃってるみたいな感じで。
堀田 そういう性格、仕切り屋だから(笑)。
一俊さんの殺陣をずっと見てきたから、(岡田氏との違いが)一番良く判るんだよ、全体的に。
堀田 (映像の伴氏の活躍を観ながら)…伴さん、いい雰囲気。さすが主役だね。
司会 (劇中映像の堀田氏を指し示しながら)堀田さん、撮影前に“風魔烈風”の衣装合わせをなさったと思うのですが、このブルーのタイツに強烈なメイクをご覧になって、いかがですか?
堀田 ああ、これだよね(笑)! 当時の自分の若さが羨ましい。
司会 伴さん演じる“出雲大介”は大学生という設定で、実際に劇中でも忍者風の衣裳を身につけることが多かったようですね。
いやぁ、タイツだからね〜(笑)。正直(初めて火忍 キャプター7の衣裳を見たとき)「一体何だい、これは!?」って思った。最初は「もうちょっと格好のよい衣裳だといいのにな」と思ってた。なんかさ、レオタードみたいな感じでさ(笑)、厭だった記憶がある。
司会 番組は(1976年)4月7日からのオンエアなので、撮影開始は1〜2月頃だったと推察します。タイツ姿では相当寒かったと想像しますが?
寒かったねぇ〜。“若い”ということはイイことだよね(笑)。
堀田 もしこの場に平山亨さん(番組プロデューサー)がいらっしゃったら、何ておっしゃったかな? 多分長い解説が始まって…(笑)。
もう止まんないね(笑)!
司会 佐藤さんは撮影当時中学3年生だったと思うのですが、こういった特撮番組のヒーロー役を演じてのご感想は?
佐藤 俺はヒーローになりたくてしょうがなかったんです。「もう何でもいいから、とにかく“変身物”に出てみたいなぁ」って思っていて。でも 当時、なかなかそういう仕事が回ってこなかったんです。
司会 『キャプター』のお仕事は、芸能活動をスタートされて何年目でしたか?
佐藤 まだ6年目くらいです。
司会 その以前に特撮番組に出演されたご経験は?
佐藤 『ウルトラマンタロウ』(1973年)だけですね。キノコの回(第31話「あぶない! 嘘つき毒きのこ」)でした。
司会 (劇中映像、雷忍 キャプター1・袋三郎兵衛役の潮建志氏を指し示し)潮さんには、もっとご活躍いただきたかったですね。潮さんが亡くなられる前、新宿東映で『仮面ライダー』のイベントがありました。それには堀田さんと潮さんが出演されたのですが、潮さんが“地獄大使”の姿で出てきて、堀田さんに「来たな、風魔烈風!」とおっしゃったり、司会者の方が「『忍者キャプター』のイベントではありません」と返して笑いを取ったり…というシーンがありました。
堀田 新宿? そうそう、すごく懐かしい(笑)。そういえば、潮さんの家にみんなで泊まったことあったよね?
佐藤 ええ、ありました。
えっ、潮さんのところ? 田中(秀夫)監督のところだと思ってた。
堀田 潮さんのところだよ。 ところでオガちゃん(小笠原猛氏 本作助監督)は、その後どうしたんだろう?
亡くなった。以前『仮面ライダー』40周年イベント(『仮面ライダー40周年記念 ライダー大集合!』2011年7月、池袋・新文芸座で開催)があったとき、俺、呼ばれたことがあって。その時に小笠原さんも来るはずだったんだけど、来ないんだよ。「身体の具合が悪い」とか言ってて。それから間も無く亡くなった。小笠原さん死んじゃうし、長石多可男さんも…。俺(の主役番組)関連の人、みんな死んじゃってるんだよ。話にならないんで困ってる。
うえだ 小笠原さんって?
小笠原猛さん。
佐藤 小笠原さんは、たしか(東映大泉)撮影所の裏に住んでましたよね。
東映(での仕事)が長いから。
司会 奥中(惇夫)監督も亡くなられました。
堀田 政治家になろうとした人?
司会 はい。青島幸男さん(元東京都知事)やコロムビア・トップさん(漫才師、アニメ『おじゃまんが山田くん』主役としても高名)と一緒に(1983年に)“二院クラブ”を立ち上げられました。
堀田 あの人、東大出身だよね。
司会 平山プロデューサーもですが、東映には“東大閥”というものがあるようですね。
堀田 東映はそうだよね。佐藤純弥さん(映画監督)や岡田裕介さん(現.東映代表取締役グループ会長)も東大卒。
それで白倉(伸一郎)くんも東大だから、偉いとこ行ってるんだぁ。出世街道なんだ。
司会 白倉さんは、2010年くらいまで東映撮影所の所長さんで、現在は取締役ですね。『キカイダー』は永遠の名作です。以後リメイクなどがありますが、つくり方を変えて『キカイダー』は以後の作品に脈々と命を繋いでいます。その辺り、いかがですか?
石ノ森(章太郎)先生からご生前直接話を聞いたんだけど、「非常に(テレビ版)『キカイダー』を評価していた。キカイダー・ジローを愛していた」と。それが石ノ森先生の主張なんだけども。だけど今の現場って、そういう風にして動いてないから…何なんだろう? 映画「キカイダー Reboot」をやった時、「蓋を開けて出した」って白倉くんが言っているんだよね。東映の中で「禁断の扉を開けた」という。そういう風にして『キカイダー』を映画化したという話になってるんですよ。その評価の度合いが俺には解らないんですよ。名作、素晴らしい作品なのに。
司会 角川書店さんからは、先行して『キカイダー』の小説が出ていました。
そう、「小説を出して映画化しますよ」っていう話でした。
司会 うえださん、いかがですか? 『キカイダー』関連でイベントなどに招かれることもおありかと思いますが。
うえだ 私、『キカイダー』関連しか知りませんけども、そうですねぇ…そういう話って、私、あんまり知らないんですよね。
当時の話でいくと、うえちゃんが(俳優として)一番評価が高いんだよ。「うえだ峻の芝居が良かった」とか「『キカイダー』は、うえだ峻が面白かった」とか。こういうことなんだよ。それで(脚本家の)長坂秀佳さんは、もう「うえだ峻大好き人間」で(笑)。うえちゃんの出番が多い話をいくらでも書くつもりでいたらしい。それから『キカイダー01』に入っても、「服部半平役のうえだ峻を出したい」って。だから久里みのるさん(『キカイダー01』前半レギュラー)が、非常に悩んじゃってね。
うえだ …もっと(『キカイダー』シリーズを)演ってりゃよかったなぁ…。私、(1973年4月より放送の子ども番組『ブンブンバンバン』司会のため)途中で辞めちゃったからね(笑)。
司会 長坂先生は、昨年、弊サイト主催『少年探偵団 BD7』(1975年)40周年トークショーに来てくださいましたが、よい意味でクセがおありの方で(苦笑)。でも機知に富んだ素敵な方でした。1989年に小説「浅草エノケン一座の嵐」で、第35回江戸川乱歩賞をお獲りになりました。
長坂さん、『キカイダー01』に入っても「脚本やらせろ!」って。そのうち「『キカイダー』撮るんだったら俺に監督やらせろ!」って(笑)。 そのくらい『キカイダー』が好きだったよ。
司会 うえださん、『キカイダー』撮影当時、ファンレターなどを含め、周囲の反響はいかがでしたか?
うえだ ファンレターが来たって記憶はないですね、私は。
司会 子どもたちの反響などは?
うえだ 室町(健三)さんていう、オートバイのアクションやってた方、いましたね? 私ね、あの頃(練馬区)上石神井に住んでて、上石神井を通って東映(東京撮影所)へ行ってたんです。室町さんがあの車(サイドマシン)でうちへ来たもんですからね、近所の子どもが集まってきて(笑)。そんなことがありましたね。室町さんって人は、面白い人だったねぇ。
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