野川 箕和田橋周辺
『レッドバロン』第4話、登校中の大助たちの目線で箕和田橋を見る。大助たちを救おうとした熊野警部が橋の下に落下した辺り。背景は野川上流。行政や地域住民の努力により著しく水質が向上し、多くの鳥類や魚類を見つけることができる。
“野川 箕和田橋周辺”レポート
レポーター◎「こちら特撮情報局」奥虹×バロンロケ地調査隊

『レッドバロン』第4話、登校途中の大助・八郎・ヨシ子たちは、橋の袂(たもと)で熊野警部と出会った直後に鉄面党に襲われ、バスで連れ去らされてしまう。
大助たちが熊野警部と出会った橋の袂(たもと)は、調布市と狛江市を繋ぐ野川の箕和田橋(1967年架橋)辺りで、UR(当時.日本住宅公団)神代団地から約400メートル上流の地点。
箕和田橋上から下流の神代団地方面を望む。左岸ベージュ色の建物は統廃合で新築された小学校。さらに下流には“神代団地”が見える。劇中、大助たちの後方に見えた雑木林は住宅街に姿を変えている。
劇中、登校途中の大助たちの背後、遠景に見える神代団地の給水塔は丁度“茸の傘”に似た特徴的な形状をしており、当時36・37号棟の後方にあった(当該の給水塔は1990年代後半に撤去された模様)。劇中映り込んでいる建物は神代団地40・41号棟だ。
箕和田橋の最寄り、登校途中の大助・八郎・ヨシ子たちの背後に見える雑木林は、現在分譲住宅となっており、40年前の面影は全くない。
箕和田橋の竣工は1967年で、欄干部分は撮影当時のまま。40年前、橋を挟んで背景左は日大三高鎌田球場、背景右は東電学園野球場内にあった電気系実習教室だった。
人間狩りの鉄面党バスが、熊野警部や大助たちと遭遇するのも、前述の箕和田橋。
劇中、熊野警部の背後にブルーグレー色の倉庫らしきものが映り込むが、それは当時東電学園野球場内にあった電気系の実習教室だ。現在は一帯が一般住宅に姿を変えている。
大助たちを救うため熊野警部はメカロボに食い下がるが、敢えなく橋の下に落下。玉川伊佐男氏は橋の欄干にぶら下がるところまで熱演している。その後、熊野警部の落方に妙なキレがあったのと、小柄な体躯に変わったことから、玉川伊佐男氏に替わり、落下シーン吹替は若駒冒険グループのメンバー(車邦秀氏?)が担当したと推察される。
“箕和田橋”上で子供たちに接する熊野警部の背景に見える鉄塔群は、建ち並ぶ住宅の付近から左手奥に向かって続いていた(上)。

南北に伸びる送電線を繋ぐ鉄塔は、現在も“鹿島建設グラウンド(旧
日大三高鎌田球場)”の敷地内に残っている(下)。
<2015年2月21日追記>
大助たちが鉄面党のバスで連れ去られるシーンは、バスの進行方向左手に林立する“鉄塔”が印象的だ。当時は東西と南北に走る送電線が、丁度“箕和田橋”の北端で交差していたことが、1972年度の空撮写真によって新たに判明。近年まで“日大三高鎌田球場(現.鹿島建設グラウンド)”の西側に“東電学園大町施設”があったことから、鉄塔群は実習施設の一部だったと思われる。現在、鉄塔が林立していた場所は閑静な住宅地へ、“東電大町施設”跡は集合住宅や“菊野台三丁目緑地”へと生まれ変わっている。
“箕和田橋”北側にある“鹿島建設グラウンド(旧日大三高鎌田球場)”横の道が、鉄面党が子どもたちをバスで連れ去った場所。野川沿いに伸びる遊歩道との境の長細い敷地に、鉄塔が林立していた。
当時、この道の突き当たりには“東電学園大町寮”の三棟に分かれた建物があり、映像でもその姿はハッキリと確認できる。
鈴木俊継監督演出の『レッドバロン』第25話、大助が謎の紳士(演.伊海田弘氏)におだてられ、自動車に乗り込んでしまった場所も、前述の野川沿いの箕和田橋。橋と並行して確認できる送電線の配置は、40年前と変わりない。撮影当時、箕和田橋の欄干はブルーにリペイントされたばかりだったらしく、劇中でも真新しさが映えている。
箕和田橋より約200メートル下流にある小金橋から周辺景色を望む。右岸に見えるのは公園。野川沿岸にはところどころ桜が植樹されており、シーズンには多くの人々の目を愉しませてくれる。
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