たまプラーザ団地
『レッドバロン』15話、健はパトカーを振り切って、画像奥に見える“元石川郵政宿舎”の坂を駆け下りる。
“たまプラーザ団地”レポート
レポーター◎「こちら特撮情報局」奥虹

『レッドバロン』第15話、デビラー総統は市井の人々の中にメカロボ(人間態)を紛れ込ませ、紅健を殺人犯に仕立てることに成功した。ひいてはSSIメンバーに健を射殺させることで、レッドバロンを只の“鋼鉄の塊”にしようという魂胆だ。
冒頭の健の悪夢(仲間たちの前で大郷ボスに射殺される)シーン、健が牛乳配達人(正体はメカロボ)を殺害するシーン、団地住人が健を取り囲むシーンなどが撮影されたのは“たまプラーザ団地”ではない。
当該シーンは“ツインコリダー”と呼ばれる、住棟の中心に隙間(吹抜)を空けオブジェを配置したデザインや、カタカナの“ロ”の字状の特殊な構造をもつ、首都圏の団地で撮影されたと思われる。『レッドバロン』放送は1973年だが、“ツインコリダー”式団地の多くは、1972年に首都圏内何ヶ所かで建設されている。
第15話の団地シーンは、横浜市青葉区の“たまプラーザ団地”方面2箇所と、首都圏の世田谷区船橋地区“希望ヶ丘団地”と思しき“ツインコリダー”式団地で撮影され、鈴木清監督は計3箇所の団地シーンを巧みに編集し完成させている。
“美しが丘第2号歩道橋”の上から“元石川郵政宿舎”方向を望む。健を追うパトカーはこの道路に停車し、健は宿舎を出て左手に逃走した。
もともと“たまプラーザ駅”周辺は平安時代より朝廷に良き馬を飼育・献上する牧場だった。1940年代に旧陸軍がこの地域を大演習場にするため、地主から坪1.5円で買い上げたが敗戦。戦後の農地改革で農民に分割された土地は、田園都市開発を意図した東急の呼びかけにより1962年に土地区画整理組合が結成され、開発に拍車がかかった。
“たまプラーザ団地”の完成は1967(昭和42)年。団地手前の“美しが丘公園”外周には苗木が植えられ、徐々に環境が整えられた。なお、完成当時は入居希望者が殺到し、入居当選確率は宝くじ並だったという。
“美しが丘第2歩道橋”(1968年8月竣工)を下から仰ぎ見たアングル。健が偽警官(メカロボ)を絞殺するシーンのエキセントリックぶりは、鈴木清監督の真骨頂だ。
話を戻そう。“たまプラーザ団地”方面はロケ地として、美しが丘1丁目の“たまプラーザ団地”と美しが丘2丁目の“元石川郵政宿舎”周辺が使われている。
パトカーに追われる健は、“元石川郵政宿舎”の坂(A2号棟と旧広場の間)を駆け降り、左手に逃げる。
その後、健は幹線道路沿い西方向約200メートルにある“美しが丘第2号歩道橋”を、坂上から“たまプラーザ団地7-3・7-4号棟”方面へ向かう。健は追ってきた偽警官(メカロボ)を立体歩道の上で絞殺するが、その現場を熊野警部に目撃されたため、今度は“たまプラーザ団地7-3・7-4号棟”から坂上へ逃走する。
熊野警部の追跡を振り切った健は坂上へ向かうが、行く手をパトカー群に阻まれる。橋を渡って左右に見える白い団地は“たまプラーザ団地7-3号棟・7-4号棟”。
レッドバロンを呼んだ健を、ジープとバイクの哲也・真理・大作が空地に追い詰める。アイアンホーク号に乗った大郷ボスも現場に駆けつける。画面右側に映り込んでいるのは“元石川郵政宿舎A1号棟”。その後方、公園・野球場の遠景(丘の上)には“たまプラーザ団地1-1号棟〜1-5号棟”が映っている。
大郷ボスの作戦により、敢えて敵味方に分かれたSSIメンバー5人が集まった空地は、かつて“山内小学校元石川分校”があった場所だ。
レッドバロンから降りた健とSSIメンバーが対峙した空地は、現在小学校のグランドになっている。小学校近くの野球場から丘の上の“たまプラーザ団地1号棟”を望む。
大団円。事件が解決しても、相変わらず牛乳配達人の姿に怯える健を囲み、私服のSSIメンバー達が爆笑する。場所は“美しが丘第2号歩道橋”を約100メートル上った辺り。
なお“たまプラーザ団地”をロケ地とする作品に、『ウルトラセブン』『ジャンボーグA』『流星人間ゾーン』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』『家政婦のミタ』『フリーター、家を買う。』映画「ダイゴロウ対ゴリアス」などがある。
事件が解決し、私服姿のSSIが勢揃いした場所。第15話は美しが丘1〜2丁目の極めて狭い範囲で撮影されている。
※“元石川分校跡地”の変遷について(2014年3月31日加筆)
1966年4月、緑に恵まれた丘陵地帯の元石川町にたまプラーザ団地・元石川郵政宿舎・道路公団・県公社などの集合住宅建設ラッシュが起きた。これにより元々地元にあった“山内小学校”の転入学手続(420名分)は繁忙を極めた。
1968年4月に“山内小学校元石川分校”が開校されたが、一度に420名もの児童が増えたため、プレハブ校舎で対応する他なかった。
1969年1月、元石川から美しが丘1丁目〜3丁目の新しい町が誕生し、同年4月には“山内小学校元石川分校”から新たな小学校が独立開校した。
『レッドバロン』放送前年の1972年、美しが丘4丁目・5丁目ができ、人口増加とともに児童数も激増したため、新小学校の1・2・6年生は本校で、3・4・5年生は分校に分かれて授業を行った。
『レッドバロン』第15話撮影時(1973年6月中下旬)、“山内小学校元石川分校”跡はプレハブ校舎が撤去された空地の状態であったため、容易に撮影許可が下りたと推察される。
以降も年々児童数は増え続け、1978年に2千人を突破。“元石川分校跡地”に新たな小学校(二校目)が独立開校して今に至る。
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