熊野神社/寺家町
『レッドバロン』第35話、哲也は宮司を追って熊野神社の階段を一気に駈け上がる。現在階段はご老人でも上りやすいように、補助の手すりが設置されている。
“熊野神社/寺家町”レポート
レポーター◎「こちら特撮情報局」奥虹

『レッドバロン』第35話 宇宙鉄面党ロボット・ドラキバットが山間の村を襲う事件が発生。哲也は、道中救助を求めてきた少女を助手席に乗せ、現地調査に向かう。しかし全ては吸血ヴィールスで村人を操る宇宙吸血鬼・ドラキュマンの目論む危険な罠だった。
第35話、ドラキュマンがSSIメンバーに罠を仕掛けた山村のロケ地は横浜市青葉区寺家町。
多摩丘陵の東縁部、鶴見川の流域に位置する歴史ある土地で、町内から古墳時代の遺物が確認されるほど古い。武蔵国都筑郡J村は鎌倉時代に鴨志田氏の領地で、その後小田原北条氏(後北条氏)の支配下におかれたが、小田原城落城後、紆余曲折を経て、江戸時代初期には幕府直接支配地域(幕府領・天領)に。その後領地の一部が旗本の筧氏に与えられた。明治時代は農業・生糸業、大正時代は木炭製造も盛んになってきた。
現在は横浜市の“ふるさと村事業”(1983年指定)により、86.1ヘクタールもの農耕地が保全され、稲・トマト・メロン・梨・葡萄・苺・柿・木炭などの収穫が体験できる、広域農産観光村になっている。
熊野神社の白く美しい鳥居は、宮司(正体はドラキュマン)を追い、哲也がくぐった40年前の様子と全く変わりない。階段の途中にある一対の狛犬は、台座こそ新しいものに変わっているが、狛犬自体は劇中のものだ。
今回の取材では、劇中多くのシーンで散見された“村の小屋”の特定が困難を極めた。第35話の撮影に使われた場所の多くが、後年、区画整理(道路拡張)のため、一般家屋・作業小屋・倉庫が解体され、この40年間で周辺景色がすっかり変化してしまっているからだ。40年前の景色と変わりないのは、ドラキュマンが化けた宮司がいた“熊野神社”周辺と、哲也が少女と出会い、また健が敵とカーチェイスを繰り広げた“田んぼ・雑木林と隣接する農道”くらいであろうか。
劇中確認できる“消防倉庫”と“火の見櫓(やぐら)”は、40年が経過し形状こそ変わったが、住宅地図(1973年度版)で照合したところ、場所は変わっていなかった。
哲也がSSI-4号車で村へ入る際、村道に“赤い消防倉庫”が確認できる。また、少女が哲也に話しかける際、少女の背後に“消防倉庫”と“火の見櫓(やぐら)”が見える。現在消防倉庫は木造からスチール製へ替わり、“火の見櫓(やぐら)”は当時鉄骨製だったものが“鐘”を吊り下げた強固なコンクリート柱型に姿を変えている。
村民全員が地面に倒れ微動だにしない状況に驚愕する哲也の背後に、ブロックが山のように積み上げられている。当該地は前述の“火の見櫓(やぐら)”から北へ約5〜6メートルの位置にあり、現在は農耕地になっている。
劇中本殿隣の広場では、哲也がドラキュマンや戦闘員と激しく闘った。広場は普段、神社を訪れた人々の休憩スペースとして機能している。40年前、裏山の斜面は脆弱だったが、現在はコンクリートで覆われている。
少女のアドバイスにより、村の神社を訪ねる哲也。宮司(正体はドラキュマン)を追い、白い鳥居をくぐり石段を駈けあがり、本殿に入ると、既に宇宙鉄面党が哲也を待ち構えていた。
ロケ地となった“熊野神社”は、1580年代の領主・大曽根飛騨守の尽力により師岡熊野神社から分社されたと伝えられている。“新編武蔵風土記稿”によれば、祭礼は毎年9月22日に行われていたという。2001年4月、不審火により焼失したが、2002年に再建立された。
2001年に焼失した熊野神社本殿は、寺家町住民の尽力により2002年に再建立された。新本殿の形状は焼失前の本殿と酷似している。一対の燈籠の台座は当時のものだが、燈籠本体は近年新しいものに変わっている。
石段途中にある一対の狛犬は40年前と変わらないが、本殿手前にある燈籠は新しいものに変わっている。哲也がドラキュマンや戦闘員と格闘する神社横の広場は当時と変わらない。神社を挟んで反対側にある裏山の斜面は、撮影当時、土面が露出していたが、現在は崩壊を留めるためコンクリートで固定されている。
哲也が少女と出会った場所、健がカーチェイスを繰り広げた場所は、ともに画像中央辺りの農道。週末には観光客の臨時駐車場と化し、景観を損ねてしまっている点は非常に残念だ。
画像左の農道で健はカーチェイスを繰り広げた。アングルは健の車輌の進行方向(健の目線)。劇中、農道は未舗装だったが、現在はコンクリートが敷かれている。
吸血ヴィールスを注入されたうえ、敵車輌で誘拐された哲也の姿に気づいた健と真理は、アイアンホーク号で宇宙鉄面党を追う。カーチェイスが繰り広げられた“田んぼ・雑木林と隣接する農道”は、序盤で少女と出会った哲也のシーンと同じ場所。但し2つのシーンの自動車進路は、それぞれ反対方向から撮影されている。
健と真理が戦闘員と闘う雑木林も、おそらく農道近くにあるものだろう。劇中、稲刈り(稲穂干し)用に組まれた竹竿やススキが確認できるので、撮影時期は1973年10〜11月頃と推察される。
緑美しい田畑と雑木林の間に長く直線の農道が走っている。画像左方向ではカーチェイスの撮影が、画像右方向では人家群を使った撮影が行われた。
農道近くにある雑木林。広大なため、健や真理のアクションシーンが撮影された正確な位置は、残念ながら特定できない。
健と熊野警部が素っ気ない村人たちの様子に疑問を抱きながら覗いた小屋には、“フレッシュネス”と印刷された野菜出荷用ダンボール箱と、“採卵”と印刷された鶏卵出荷用のダンボール箱が山積みになっていた。住宅地図(1973年度版)で確認するかぎり、40年前、寺家町内には10箇所12棟の鶏舎が存在したので、ダンボール箱が積まれた小屋はその近所の筈だ。が、鶏舎自体が既に解体されていたり、劇中と同型の小屋が見つからなかったりで、結局場所特定にまで至らなかった。哲也がドラキュマンに操られ、真理が人質になる佳境シーンのロケが行われた“錆びたトタン屋根の小屋”も、同様の理由からやはり場所を特定できなかった(当該劇中画像を50〜80歳代の町民の方々5〜6人にお見せしたが、それでも判明しなかった)。
哲也が村人の危機に駆けつけるシーンの背後に映り込んでいた、道端の地蔵。劇中でも赤い前掛けを着けている。後年、区画整理の関係で約100メートル南へ移動した。
寺家町は現在も山林と田園を残した素晴らしい自然環境にあり、横浜市の“ふるさと村事業”は農業に対する市民の理解を得たり、観光客を招くことに一定成功している。一方では、隣接区画に企業の工場進出や宅地化も着実に進んできており、今後はその整合性がひとつの課題になっていくものと推察される。
寺家町の四季折々の景色のなかでも、桜の季節の熊野神社周辺は特に美しいという。春の行楽シーズン、現地へお出かけになってみてはいかがだろうか?
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