元石川郵政宿舎/元石川分校跡地
『レッドバロン』第15話、鉄面党の罠にはまり殺人犯に仕立て上げられた健は、熊野警部や偽警官たちに追われ、団地や宿舎を逃げ回る。劇中、手前から奥方向へ逃走した健は、右方向から来たパトカーを避け、左折する。
“元石川郵政宿舎/元石川分校跡地”レポート
レポーター◎「こちら特撮情報局」奥虹

『レッドバロン』第15話、メカロボが化けた牛乳配達人・偽警官を絞殺した紅健は、殺人犯として熊野警部に追われる。これがSSIに健を射殺させるための罠だと看破した大郷ボスは、一計を案じる。健の手錠を外し逃亡させ、その後をSSIに追跡させる大郷ボスの作戦の真意とは…?
“元石川郵政宿舎”を道路側(美しが丘公園)から望む。中央道路を挟んで左手前が集会所。その後方がB3号棟。右側がA2号棟で、劇中バロン出現に驚いた人々が階段を降りてくる。
当ロケ地レポート“たまプラーザ団地”編にも記したが、第15話、健の逃走経路は世田谷区内・横浜市青葉区・川崎市内・狛江市内など広範囲にわたる。団地は世田谷区船橋地区“希望ヶ丘団地”、青葉区内“たまプラーザ団地”と“元石川郵政宿舎”の計3箇所。青葉区内のロケ地に関していえば、前述の2箇所に加え、健とSSIメンバーが対峙する空地(元石川分校跡地)も含め、全てのロケ地が500メートル圏内にある。
今回は“元石川郵政宿舎”と“元石川分校跡地”について考察する。
劇中、大郷ボスの背後に映り込んでいた“元石川郵政宿舎A1号棟”は、実は5階建。空地との段差の関係で、劇中には3〜5階部分しか映っていない。
“希望ヶ丘団地”で牛乳配達人を絞殺した健がパトカーに追われるシーンから、“元石川郵政宿舎”撮影分に繋がる。健は宿舎を坂の上方向から表通りへ下ってくるが、右からパトカーが来たのを避けて左へ逃げる。当時“元石川郵政宿舎”敷地内には小さな空地があり、遊んでいた児童5〜6人が劇中映り込んでいるが、その空地は現在宿舎の集会場になっている。
その後のシーンは“たまプラーザ団地”撮影分に繋がるが、次に“元石川郵政宿舎”が姿を現すのは、健が空地にバロンを呼び寄せてからだ。バロンの出現に驚いた住民たちは、宿舎のA2号棟西側から階段を下り、A1号棟の通路を通過して避難する。
“元石川郵政宿舎”から、美しが丘公園を挟んで“たまプラーザ団地1号棟”を望む。公園樹木の著しい伸長により、“たまプラーザ団地”まではなかなか見渡せない。
シーンは前後するが、そのA1号棟に隣接するのが“元石川分校跡地”。ここは撮影当時空地だったが(理由は後述)、SSIのジープ・バイク・アイアンホーク号が次々と空地に集結するシーンには編集上のトリックがある。3車輌がやってきた方向には数メートルの段差があり、後方は崖状になっており道路と美しが丘公園がある。劇中空地に立つ大郷ボスの背後に見えるのが、隣接する“元石川郵政宿舎”の3〜5階部分だけであることからも、段差の存在は明らかだ。3車輌は数メートルの高さの崖を登ってきたことになるが、編集が巧みであるため違和感は皆無だ。まさしく“映像のマジック”と言えよう。
なお、劇中SSIの3車輌の背後にある美しが丘公園の遠景には、“たまプラーザ団地1号棟”が確認できるが、40年が経過し公園の樹木が著しく生長したため、現在は美しが丘公園から“たまプラーザ団地”が殆ど見えない。
美しが丘公園より“元石川分校跡地”に建つ小学校を望む。アングル的には劇中空地に集結したSSIの3車輌を背後から見た位置。土地は城壁状にかさ上げされた。
※“元石川分校跡地”の変遷について
1966年4月、緑に恵まれた丘陵地帯の元石川町にたまプラーザ団地・元石川郵政宿舎・道路公団・県公社などの集合住宅建設ラッシュが起きた。これにより元々地元にあった“山内小学校”の転入学手続(420名分)は繁忙を極めた。
1968年4月に“山内小学校元石川分校”が開校されたが、一度に420名もの児童が増えたため、プレハブ校舎で対応する他なかった。
1969年1月、元石川から美しが丘1丁目〜3丁目の新しい町が誕生し、同年4月には“山内小学校元石川分校”から新たな小学校が独立開校した。
『レッドバロン』放送前年の1972年、美しが丘4丁目・5丁目ができ、人口増加とともに児童数も激増したため、新小学校の1・2・6年生は本校で、3・4・5年生は分校に分かれて授業を行った。
『レッドバロン』第15話撮影時(1973年6月中下旬)、“山内小学校元石川分校”跡はプレハブ校舎が撤去された空地の状態であったため、容易に撮影許可が下りたと推察される。
以降も年々児童数は増え続け、1978年に2千人を突破。“元石川分校跡地”に新たな小学校(二校目)が独立開校して今に至る。
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