多摩川/五本松
五本松から多摩川下流方向を望む。水流が左へ蛇行する辺りに、かつて“川幅半分近い巨大な州”があり、『マッハバロン』エンディング(スローモーションで駈ける村野博士とKSSメンバー)映像は、そこで撮影されたと思われる。
“多摩川/五本松”レポート
レポーター◎「こちら特撮情報局」奥虹

日本現代企画 狛江スタジオ”から近い“五本松”を含む多摩川周辺は、スタッフにとって余程使い勝手が良かったらしい。この辺りの景色はバロンシリーズ撮影会をはじめ、『レッドバロン』『マッハバロン』劇中にも度々登場している。
『マッハバロン』第10話、KSSエンジニアチーフである小田切ゆきおは、マッハバロン以上のロボット・ジャイアントバロン製作の野望に翻弄され、密かにロボット帝国と裏取り引きをする。多摩川沿いを歩く小田切は、愛息のコウジが陽・愛・健一を相手にジャイアントバロンの模型を披露している現場に偶然遭遇する…。
陽とコウジを守るため、戦闘員が放つマシンガンの盾となった小田切チーフは、KSS基地内の病室で“ジャイアントバロンの模型を持ったコウジと笑顔で河川敷を走る”夢を見ながら臨終する(この幻想シーンが撮影されたのは、後述の『マッハバロン』エンディングで村野博士とKSSメンバーが並んで走った河川敷だと推察される)。
そして、名曲の誉れ高い「眠れマッハバロン」のアコースティックピアノのイントロとともに流れる、幻想的な
『マッハバロン』エンディングの映像は殊に印象的だ。
多摩川河川敷(低水敷)の州と思しき場所を、スローモーションで駈ける村野博士とKSSメンバーたち。彼方からはバイクに乗った健一少年と花倉刑事が、朗らかな表情でやって来る。それを穏やかな笑顔で迎えているであろうKSSメンバーたち。沈みゆく夕陽を見つめながら語り合うKSSメンバーの姿は、川面に反射した陽光でシルエットとなり、美しく浮き上がっている…。
五本松の上手から多摩川の下流方面を望む。河川との境辺りが、健一少年と花倉刑事を乗せたバイクの経路の跡と思われる。2004〜2005年実施の護岸工事により、土手はかなり削られてしまった。
エンディングでマッハトリガーが走り抜ける多摩川左岸土手下の道(現.六郷さくら通り)。
かつてはこの付近で川や用水堀が合流して、多摩川へと注いでいた。また、多摩川から取水する六郷用水のスタート地点でもあった。
特撮作品のエンディングとしては非常に叙情的で秀逸、40年経ったいま観ても色褪せを感じさせず、何より名曲「眠れマッハバロン」(作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫/歌:すぎうらよしひろ)とのマッチングが素晴らしい。下塚誠氏や団時朗氏がインタビューなどで、「眠れマッハバロン」への思い入れを語る気持ちがよく解る。
余談ではあるが、エンディング映像に“村野博士衣装提供 アンジェロ リトリフ(そごう)”のクレジットがある。これは1970年代前半、団時朗(当時.団次郎)氏が、“そごう”ブランドの専属モデルであったコネクションから実現したもの。1970年代前半の「男子専科(dansen)」等メンズファッション各誌には、ファッショナブルなスーツに身を包んだ団氏がモデルの“そごう”広告が散見される。
エンディング映像の撮影について、鈴木清氏は次のように語ってくださった。
「『マッハバロン』のエンディングは、僕がプランを立ててコンテを切って、メインスタッフとロケハンをして撮りました。多摩川には(日本現代企画の)オープンセットがあったから本当によく使いましたね。もともと“多摩川の夕陽”って綺麗なことで有名で、名物みたいになっていたから、川面に映る夕陽は画(え)として成り立つと思いました。エンディングにある“あの夕陽”の画(え)を待ちに待って撮りました」。
夕陽に映える多摩川。
正面に横たわる多摩丘陵の稜線や川面の角度から推察するに、エンディング映像はもう少し左(下流方向)へ移動した場所での撮影か!? 中央に見える鉄塔は映像でも確認できる。
五本松より20メートルほど多摩川上流に歩いた位置から、上流方面を望む。
陽光でシルエットになったKSSメンバーたちは、多摩川を見つめながら笑顔で語り合う。
講談社大全によれば『レッドバロン』のクランクインは放送開始の3ヶ月前。『マッハバロン』も同ペースと仮定すれば、1974年7〜8月頃のクランクインと推察される。一連のエンディング映像もその頃に撮影されたのだろう。
“こちら特撮情報局・特撮ロケ地レポート”にも詳しく記したが、1974年9月1〜2日、台風16号による記録的豪雨で多摩川各所の堤防が決壊、特に狛江市周辺では家屋流出・倒壊を含む深刻な災害が起きた。「多摩川堤防決壊記録」(著:東京都狛江市)には、増水で五本松を支える地面まで濁流に埋まっている一葉が確認できる。その濁流の凄まじさを想像するだけでも背筋が凍る。
あのエンディング映像(スローモーションの村野博士とKSSメンバーたち)が、多摩川の州で撮影されたと仮定すると、その場所はどの辺りだったのだろうか? 台風前と後とでは周辺景色はどのように変わったのだろうか? 40年経った現在、当該ロケ地はどうなっているだろうか? どうしてもそれを知りたくなり、1973〜1974年当時の住宅地図・航空写真と各種資料を入手、多摩川ロケ地探訪に備えた。
幸い先日、嵐田陽役・下塚誠氏経営の“洋風居酒屋レモンタイム”で、下塚氏と再会する機会を得たので「村野博士とKSSメンバーがスローモーションで駈ける場所」について、航空写真と住宅地図をお見せしながらお話を伺ってみた。なお文中、下塚氏の表記は“敬称略”とさせていただいた。
五本松から多摩川沿いに上流方面を望む。右に蛇行している辺りにかつて“根川水門”があり、“井”の字型の護岸ブロックの辺りでは、嵐田陽や小杉姉弟が小田切チーフ親子と“ジャイアントバロン”について語るシーンが撮影された。
奥虹:他のお客さんが来店される前に、『マッハバロン』エンディングの撮影についてお訊きしたいのですが…。どうぞよろしくお願いします。
下塚:いいですよ(笑)。もう40年も前になるんですね…。僕は(『マッハバロン』)オープニングよりエンディングの歌の方が好きなんだけど、エンディングが撮影された正確な場所まで覚えてるか、ちょっと自信ないです(笑)。
奥虹:(多摩川関連の資料を下塚氏に示しながら)『マッハバロン』第1話の放送が1974年10月7日ですから、遡って真夏ごろのクランクインでしょうか?
下塚:暑い頃でね(苦笑)。多摩川では、たしか撮影会もやりましたよ。クルマ(マッハトリガー号)に乗って撮ったり、団(次郎)さんや深江(章喜)さんたちと集まって撮ったりしました。(書籍の堤防決壊写真をご覧になりながら)あぁ…あの時の台風の被害は酷かったですね。
奥虹:そのようですね。下塚さんもよくご存知の長沢大さんが小田切チーフ役でゲスト出演されたのが『マッハバロン』第10話。多摩川の“根川水門”辺りで、下塚さんや長沢さんが子役たちと“ジャイアントバロン”について語るシーンが撮影されました。
下塚:(水門の写真を見ながら)あのシーンを撮った“根川水門”って、五本松のすぐ上流の側にあったんですね。
奥虹:はい。第10話をよく観ると劇中、下塚さんたちが立ってらした“井”の字型の護岸ブロックに、木の根だとか大量の漂流物が絡みついているんです。
下塚:ああ、“ジャイアントバロン”の話が撮られた頃が、ちょうど台風(16号)の直後だったってことですかね?
奥虹:おそらく。第10話の放送が12月上旬です。鈴木清監督のお話だと、バロンシリーズは“2話1セット10日撮りペース”だったそうなので、第10話撮影が台風直後の9月上〜中旬だと仮定すると、大体計算は合いますね(笑)。
下塚:なるほどね(笑)。今日は鈴木(清)さんにも僕の店(洋風居酒屋レモンタイム)に来てほしかったな。
奥虹:(鈴木清監督は)今回ギリギリまで飲み会スケジュールを調整してくださったんですが、叶わず「下塚君や皆さんによろしく」とのことでした。是非またの機会にお誘いしたいと思います。ところで多摩川河川敷の州って、台風前と後とでは、こんな風に形が変わったんです。
下塚:(台風前と後の航空写真・住宅地図を比較しながら)…台風の増水で州の一部が削り取られてしまってますね。ここがジャイアントバロンの“根川水門”で…ここが“五本松”で…僕ら(KSSメンバーと村野博士)がスローモーションで走ってる場所は、ここの五本松近くの土手かな?
奥虹:土手では確かに深江(章喜)さんと内海(敏彦)さんを乗せたバイクが走ってます。ただ、40年前のエンディング(画像)でじっくり確認してみると、当時ここの土手は下塚さんや団(次郎)さんたちが“横一列で走れる平坦な幅”はなかったんです。
下塚:すると、土手と平行してる、ここの州の所で(スローモーション部分を)撮ったのかな? 深江さんと土手の所で撮ったような気がするんだけど。
奥虹:下塚さんたちが(スローモーションで)横一列で走ってる場所と同じ平坦な所で、深江さんと内海さんのバイクシーンも撮影されてます。それはエンディング(映像)の最初の方にあります。
下塚:(航空写真の多摩川を指し示しながら)そうすると多分ね、五本松から少し下流にある州の所で(スローモーションのシーンを)撮ったと思います。そうそう、多分ここ(五本松下流の州)で間違いないんじゃないかな?
奥虹:そうですか、思い出していただいてありがとうございます(笑)! 助かりました。エンディング(映像)には「健一少年と花倉刑事を迎えるKSSメンバー」や「夕陽を見ながら語り合うKSSメンバー」のシーンもありますね。
下塚:ああ、ありましたね〜。エンディング(映像)は鈴木(清)さんが一日がかりで撮ったんじゃないかな? 近いうち、久し振りにDVDで『マッハバロン』を観てみようかな(笑)。
土手の遊歩道から五本松を望む。五本松周辺は1970年代を中心に、数多くの特撮作品ロケ地として重宝された。現代建築物が映り込まないアングルが確保できたため、『大江戸捜査網』など時代劇の撮影にも使われていた。
今回、下塚誠氏から貴重な証言をいただき、『マッハバロン』エンディングの撮影場所を考察することが出来た(下塚様、この度は大変ありがとうございました)。
下塚氏が教えてくださった「スローモーションで走る村野博士とKSSメンバー」のシーンが撮影された州(低水敷)は、現在跡形もない。多摩川の州は台風や増水により毎年微妙に(ときに劇的に)その形状を変えてきたが、加えて2004〜2005年、五本松付近で大幅な護岸工事が行われたため、当該の州どころか花倉刑事が健一少年を乗せバイクで走った土手辺りまでもが、もはや昔(1974年当時)の形状を留めてはいない。
エンディング映像で、KSSメンバーが多摩川下流方面を向いた時、遥か下流に見えた世田谷通りの陸橋は、アーチ型のそれに姿を変えた。五本松は40年分の年輪を刻み、かなり太さを増した。対岸にあった工場は設備が改められ、その隣にはマンションが建ち並ぶようになった。
この40年の間に、少しずつ姿を変えてきた多摩川周辺風景だが、探してみれば『マッハバロン』撮影当時の雰囲気を残す場所も少なくない。そう、KSSメンバーの気持ちになって、五本松近くから多摩川の流れを眺めつつ「眠れマッハバロン」を口ずさむのも、一興かも知れない(笑)。
五本松から数百メートル下流へ下った辺り。世田谷通りの陸橋はアーチ型に変わった。並行して小田急線が走っている(因みに、当該ロケ地の最寄り駅は小田急線“和泉多摩川駅”)。
<2014年6月3日追記>
『レッドバロン』第4話、女性幹部の命令を受けたメカロボたちは、多摩川・五本松で語らう女子学生たちを次々と拉致する。
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