朝霧高原(1)根原の牧場跡
国道139号線沿いに富士山を望む。画像左手は山梨方面、右手は富士宮市街地方面。第14話に登場する牧場はこの手前にある。撮影時期は1973年6月上〜中旬(上)。

画像左端に見えるのが富士宮市街地方面に見た国道139号線。そのまま進んでいくと、第39話登場の“白糸の滝”や、第37話登場の“朝霧高原グリーンパーク跡(近日公開予定)”へ行き着く(下)。
“朝霧高原(1)根原の牧場”跡レポート
レポーター◎「こちら特撮情報局」奥虹×バロンロケ地調査隊

『レッドバロン』第14話、弟想いの大作は大助の誕生日プレゼントに“ロボター”を制作するが、借り受けた熊野の操作ミスから、鉄面党に“偽ロボター”とすり替えられてしまう。大作が会議のためSSI本部へ戻った刹那、防衛レーダー基地が敵ロボ・キングジョンブルに破壊されたとの一報が届く。本部に真理を残し、現場へ急行するバロンとSSI。戦闘中キングジョンブルの弱点を真理に訊ねる健だが、あろうことかSSI本部に潜入していた“偽ロボター”は真理を負傷させ、真理の声色を使い“偽りの情報”を伝える。一方、メカロボは大助の手に渡った“偽ロボター”を回収すべく大助を誘拐。通りかかった大作・熊野は鉄面党車輌を追跡し、やがて高原の牧場へ辿り着く。大助・熊野を人質に取られ、自らも拉致された絶体絶命の大作は、起死回生の作戦を実行するが…。
根原の北端から望む“毛無山”の稜線と、それに繋がる“おにぎり型の小山”。42年が経過しても、山のシルエットは変わらない(上)。

“道の駅 朝霧高原”向かいの細い道を100メートルほど進んだ場所にある“富士山ワイナリー”。その小さなワイナリーの敷地こそ、かつて大作・大助兄弟がメカロボと戦った牧場跡だ(下)。
“朝霧高原”は、静岡県富士宮市の根原〜猪之頭付近、富士山西麓にある高原。もともと火山灰と砂礫が混じり、コンクリートのような固さを誇った土地であったため、農耕や牧草の生育に適した場所ではなかった。1930年代後半〜1940年代前半は、旧陸軍が戦車隊の演習地として使用。戦後は海外引揚者・復員兵・県外からの入植者・地元農民などが、開拓と土壌改良に奮闘努力し、現在は高冷地野菜栽培地および酪農地帯として広く認識されるまでになった。
ひとつの転機となったのが、『レッドバロン』放送の2年前、1971年8月2〜10日に当地で開催された“ボーイスカウト世界ジャンボリー”だろう。1967年、アメリカ・シアトル市で開催されたボーイスカウト世界大会で、第13回世界ジャンボリー会場が朝霧高原に決定したため、約300万人の静岡県民により水確保・道路整備をはじめ、念入りな準備が行われた。9日間の開催期間、世界ジャンボリー・キャンプ会場に集結した世界ボーイスカウトの若者は約3万人、関係者や一般客を含めると約10数万人が集ったとの記録が残っている故、過疎農村としてはまさに“空前絶後のイベント”であったに違いない。
『レッドバロン』撮影当時にあった中小規模の牧場の多くは経営悪化から淘汰され、現在は大規模且つ優秀な経営の牧場のみが生き残っている感が強い。一部農地の放棄(離農)による荒廃が見られるが、それでも地元に根差した農家・酪農家が生産する野菜・乳製品は新鮮で人気が高く、“道の駅 朝霧高原”にある売店は、連日大変な賑わいをみせている。

朝霧高原 1973 MAP
「1973(昭和48)年度版 航空住宅地図 富士宮市」を基にして、撮影ポイントを検証する目的で独自に作成。
誘拐された大助を救うため、大作がバイクを駆って疾走したのは、“根原の牧場”北東側のこの一帯だと思われる。画像左手に見える正三角形の小山方向を目指し、この緩やかな傾斜を下ると、件の牧場に辿り着く(上)。

牧場跡の中心部から正三角形の“(通称)おにぎり山”を望む。画像左手に見えるこの山は、大作・メカロボの格闘シーンの背景に頻繁に映り込んでおり、今回牧場跡特定の重要な手がかりとなった(下)。
かつて静岡県富士宮市根原に存在した中規模の牧場は、いかなる理由からか、1973(昭和48)年度の住宅地図には当該地前の道路のみが記載され、牧場施設の形状や世帯主に関しては一切記載されていない(航空地図では施設の形状が確認可能)。
静岡県富士宮市の“朝霧高原”は、過去『隠密剣士』など宣弘社作品ロケ地として重用されてきた場所である。一方、『レッドバロン』第14話の高野宏一監督、同第37話の鈴木清監督ら元.円谷プロ組も、『ウルトラセブン』(第4話)の撮影などで朝霧高原へロケーションに出掛けて土地勘があったため、必然的に日本現代企画のロケ地リストに当該地が盛り込まれたものと推察される。
第14話登場の“根原の牧場”を特定できたのは、劇中いくつかのシーンが重要なヒントになったからだ。
[1]牧場内の車庫前に宙づりにされた熊野の背景に“静岡ナンバー”の車輌が駐車されていたこと(おそらく牧場主所有の乗用車)。[2]牧場内の施設壁面に掲げられていた“昭和39年度農業構造改善事業”が富士宮市でも実施されていたこと。[3]大作の背景に映り込んでいた“正三角形”の小山が国道139号線の特定場所から確認できること。これら3点からほぼ地域を絞り込んだうえで、[4]当該地域の航空地図(1975年度)から劇中に登場する牧場の施設配置と同一のものを発見するに到った…という次第。
『レッドバロン』の撮影が行われた1973(昭和48)年は、国内牛乳消費量が飛躍的に伸びた時期ではあるが、大規模酪農農家が経営を拡大する一方、前述の“農業構造改善事業”で行政に施設・トラクター代を借款していた一部の中小規模酪農農家が経営破たんし始めた時期でもある。しかし第14話の撮影に使われた牧場が、当時既に廃業していたかどうかは分からない。ただ劇中、前述のとおり牧場主所有と思しき乗用車が車庫内に駐車されていること、山盛りの牛糞が積まれている“堆肥舎”が一瞬だけ映り込むことから、おそらく「当時牛舎内にはまだ乳牛が多数いたが、撮影に支障をきたすため、高野監督たち撮影スタッフは牧場経営者に交渉し、一時的に放牧場へ牛を移動してもらった」と考えるのが妥当だろう。

根原の牧場 1973 MAP
「1975(昭和50)年度版 航空住宅地図 富士宮市」を基にして、撮影ポイントを検証する目的で独自に作成。
敷地中央にあるワイナリー建物の位置は、大作・メカロボの格闘シーンが撮影された場所。アクション上の障害物が一切なく、立ち廻りを行い易かった空間だ。建物後方には、大作・大助が拉致された牛舎がかつて存在した(上)。

画像奥に、かつて熊野が逆さ吊りにされた車庫と、偽ロボターが保管されていた管理室があった。手前のコンクリートは撮影当時のものではなく、後年敷かれたもの(下)。
既に鬼籍に入られている高野(宏一)監督の演出に物申すつもりは毛頭ないが、当該回は“シーンの繋ぎ”の点で、やや粗雑さが目立つ。例えば、大助を誘拐した鉄面党車輌を、大作がバイクで追跡する途中、斜面から沢へ転落するシーン。転落した時点でバイクは沢方向に逆向きに滑り落ちたが、大作が体勢を立て直すべく再びバイクに近づいたとき、バイクは何故か180度回転しており、すぐに発車できる位置取りになっていた。
同様のことは牧場施設内の撮影でも見られる。兄・大作が閉じ込められている牛舎の窓枠を破壊するため、大助がバイクの高射砲を牛舎へ向けるシーン。大助とバイクの背景は全面堆肥舎だった筈だが、“その直後”大作が牛舎からの脱出に成功し、大助とともにメカロボとの戦闘体勢を取った途端、バイクは停車していた位置から約20〜30メートルも“瞬間移動”しており、背景が堆肥舎から山の景色に変わっていた。前者は“スピーディなカット割り優先”のため、後者は“画づくりの観点”と“アクション空間の確保”からやむを得ない緊急措置だったと思われる。
類似の例は、平成『仮面ライダー』シリーズ・戦隊シリーズなどでも散見される。例えば、同一場所の同一アングルで、路面が乾いているカットと濡れているカットが(当り前のように)繋がれているケースだ。放送開始日から遡り約2〜3カ月前から撮影が開始されても、対処しようのない長期の悪天候やイレギュラーな事態が起きるかも知れないリスク、撮了ストック本数確保のことを鑑みれば、“シーンの繋ぎ”でいきなり路面が雨で濡れていようといまいと、それは些末な問題なのだろう。
『レッドバロン』に話を戻そう。鈴木清監督によれば、「『レッドバロン』は(脚本2冊同時)2本8〜10日撮りだった」そうだが、地方ロケ移動(断トツで静岡ロケが多い)によるタイムロスや、いつ起きるとも限らない想定外のイレギュラーな事態を鑑みれば、“シーンの繋がり”を整合させることが時に後手にまわってしまう撮影現場の事情には、寛大になるべきなのかも知れない。
大作・大助兄弟が拉致されていた牛舎(2棟)のあった辺り。左手には堆肥舎(3棟)が存在した(上)。

車庫と管理室があった場所だけコンクリートがなく砂利が敷かれている。撮影当時は、管理室の右隣にあったトラクター倉庫が目隠しとなっており、劇中に富士山は映り込んでいない(下)。
『レッドバロン』第11〜15話は、SSIメンバー個々の主役回だ(真理・哲也・大郷・大作・健の順)。それぞれのエピソードで“絶体絶命のピンチ”が科せられるも、メンバーの智慧とSSIの団結によりそれを打破していく高揚感が心地よい秀作ぞろいだ。第14話は、ギャグメイカーであり、また視聴者である少年少女の“良き兄貴分”的キャラクターとして設定されていた、愛すべき“堀大作”の主役回。(当時子どもだった)我々視聴者は、弟・大助という“フィルター”を通して、第14話では“肉親(兄)の愛”を知り、また第26話ではその最愛の兄の死から“生命の脆さや大切さ”を体感したのではなかろうか。本レポートをご一読いただいた後、鮮やかな緑に包まれた“初夏の朝霧高原”を舞台に繰り広げられる、堀大作・大助兄弟の活躍・奮闘を是非じっくりとご鑑賞いただきたい。

道の駅 朝霧高原
富士山ワイナリー
“根原の牧場跡”から北東方向へ2キロメートル程離れた場所には、放置されたままの廃牧場が確認できる。かつて“朝霧高原”の広範囲に酪農家が点在していたことを証明する、侘しくも貴重な遺構だ。
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