<アトラクションショー・サイン会秘話〜ヒーローはつらいよ>
司会 ヒーローものやキャラクター番組の場合、遊園地などでショーがありますけれど、『マッハバロン』の場合、アトラクションショーなどはあったのでしょうか?
下塚 ありました。
司会 できましたら、当時の想い出をお願いします。
下塚 これはちょっと悲しい(想い出)ですけども、『マッハバロン』の時は新人でしたから、ギャラが安かったこともあって、なかなか裕福感はなかったんですよ。ただ、撮影が終わってまだOAが残っている時(1975年1〜3月頃)に、ある企画会社の“全国縦断サインツアー”っていうものがあって、(サイン会場)1カ所につき3万円(のギャラを)くれたんです。1日2カ所回ったりしたもんだから、すごいです。僕、そこで初めて「役者さんって本当は金持ちだったんだ!」と(知りました)。『マッハバロン』の頃は「みんな貧乏なのかな?」と思っていましたから(笑)。本当に実感しました。面白いのは、地方の子ども達っていうのは、『マッハバロン』(の存在)をそのまま信じているんですよ。「どうやって操縦するの?」とか「(マッハバロンの身長は)何メートルあるの?」とか。東京の子は「どうせ特撮だろう」と。…やられました(笑)。
加藤 (子ども達には)どうやって説明したの?
下塚 地方の子にはそのまま「(マッハバロンの身長は)何メートル」だとか(説明して)、東京の子には何も答えなかったです(笑)。
加藤 (子ども達の)夢を壊しちゃいけないもんねぇ。
司会 そのショー(のご出演)は下塚さんだけですか?
下塚 いや、アクションする方や着ぐるみの方がいるんです。で、最後に僕が出て行って、ちょっとアクションして、そしてサイン会に入る。
加藤 それで3万円(笑)。
司会 そのショーには加藤さんや力石(考)さんは?
下塚 遊園地にしてもデパートの屋上にしても「『マッハバロン』下塚誠、来たる!」って垂れ幕に書いてあって、(出演者は)私ひとりなんです。あとは、皆さん知らない方でした。そういう(アトラクションショー)専門の人がいるんですね。
司会 マッハバロン(の着ぐるみ)は来ましたか?
下塚 あぁ、来ました 来ました。
司会 撮影と同じものなんでしょうか? アトラクション用とは違って。
下塚 多分そうだと思いますよ。
司会 下塚さんが操縦する演出はあったんですか?
下塚 コックピットのシーンはなくて、僕の声だけです。
世間は狭くて、僕がこの店(レモンタイム)を始めて5〜6年した時に、あるお客さんが入って来られて「昔のこと、憶えていますか?」って、おっしゃるんです。「何でしょうか?」って聞いたら、「マッハバロン関係です」と。「えっ! じゃぁ(日本現代企画スタジオで)撮影の?」「違うんです。(アトラクション)ショーの時の…」(というやりとりがありました)。僕は印象にないんですが、その方は(『マッハバロン』)ショーのメンバーだったんです。出世されていて「(今、イベント)会社をやっています」とおっしゃって、わざわざ僕の店に来てくださったんです。
司会 思わぬ出逢いがあるんですねぇ。
下塚 ありますあります。
司会 石田さんは『レッドバロン』出演の前に『ミラーマン』で主役をされたので、サイン会やショーに参加されたことがあると思います。その時の想い出がありましたらお願いします。
石田 あんまりないなぁ(笑)。ただねぇ、撮影が終わるといつも、風邪ひいて熱があっても何処かに連れて行かれてたっていう嫌な想い出だけです(苦笑)。(連れて行かれたのは)サイン会ね。
司会 やっぱり当時から人気があったから…。
石田 うん。何か知らないけど、着ぐるみは来てなかったと思う。石田信之単体で(会場へ)行ってましたね。
司会 そこで色紙にサインすると。
石田 そう。色紙だけでねぇ、一番キツかったのが、1日1万枚ぐらい書いた時…。
(一同騒然)
下塚 1万枚!?
石田 何処だったか忘れたけど、もう手が動かなくなってね。結局、お昼の休憩時間も「とにかく書いてくれ」って(サイン会スタッフに)言われて書き続けましたよ。で、夕方何時頃まで書いたのかもう憶えてないけども、(デパートのサイン会スタッフに)「どれ位書いたの?」って訊いたら、「約1万枚」って。それだけは記憶にあります。
司会 1日で1万枚ですよね? 10日や1週間で1万枚ではなく…。
鈴木 今日の (寄せ書きサイン色紙の)枚数(20枚)は大したことないね(笑)。それにしちゃぁ結構疲れたような(書きっぷりだったね)。
(一同爆笑)
石田 手が震えて(笑)。着ぐるみと一緒といえば、三越デパートの上で(ミラーマンや怪獣と)一緒に撮った写真があるんだけど、それはサイン会じゃなく、何か(のイベント)に顔を出したんでしょうね。そんなところかな。
司会 ありがとうございました。サイン会の色紙で1万枚というのはあまり聞かないので、ヒーロー界(のサイン会)では石田信之さんがトップではないかな…という気がします。
石田 本当に1万枚(書いた)かどうかっていうのは(主催側の)申告で、(実際書いた色紙の枚数を)数えた訳じゃないから分からないけれどね(笑)。
<高視聴率だった『少年探偵団(BD7)』秘話>
司会 時間も残り少なくなってきました。鈴木監督にお訊きします。『マッハバロン』『レッドバロン』で監督を、その後、日本現代企画で制作した『少年探偵団(BD7)』ではプロデューサーを務めていらっしゃいます。加藤さんもゲスト出演し、車さんもアクションで参加されていますが、この作品からプロデューサーになられたのは? 監督からプロデューサーへ転身された経緯を差し支えなければ伺えないでしょうか。
鈴木 自分の“夢”っていうのはプロデューサー(になること)だったんです。ハリウッドのプロデューサーっていうのは、あらゆる面に精通しています。撮影も照明も技術関係全て、演出関係全て、制作関係も全てマスターしている人間が“真なるプロデューサー”だという風に、僕は聞いていました。「じゃぁ俺は、日本のプロデューサーとしてちゃんと真面目にやろう」と思って、プロデューサーを目指したんです。最初は特撮の撮影助手から始まって歩んで行くんですが、『レッドバロン』『マッハバロン』など色々やっているうちに、どんどん自分の夢が膨らんでいってプロデューサーに(進路を決めたんです)。
…いや、実はねぇ、『少年探偵団(BD7)』で僕は、ある部分“ピンチヒッター”だったのね。「少年に夢を」っていう理想は、『レッドバロン』も『マッハバロン』も同じなんだけども。「子ども達に夢を与えよう」っていうのは『ウルトラマン』の時もそうなんだけど、「(そのために)自分だったら何が出来るんだ?」という(自問自答をしたんです)。『少年探偵団(BD7)』はね、ある時にあるプロデューサーが「(番組を)降りるぞ」みたいな状況になって、僕がピンチヒッターに立ったっていうのが事実ですね。その中で「じゃぁ俺だったらこうやろう!」って、ピンチヒッターに立つ前のプロデューサーとは全く違う作品を創ろうと決めたんです。今日40年目にして会ったすぎうら(よしひろ)さんが歌ってくれた(『マッハバロン』の)主題歌が、「子ども番組の中であんな主題歌ってのはあり得ない。今までなかった」と言われ続けてきたのと同じ。つまりね、「“今までにないこと”を俺は(『少年探偵団(BD7)』で)やろう!」っていう想いがあったので、そういう闘いをしたら、たまたまハマッて大ヒットしたということです。
今までも『少年探偵団(BD7)』パート2〜3の企画っていうのは、何回もぶつけてきたんだけど…なかなかね。とにかく『少年探偵団(BD7)』は、視聴率が爆発的に良かったの。『少年探偵団』って、今までいろんなシリーズ(ラジオドラマ1作品、映画16本、テレビドラマ7作品)があったんだけど、その中で(『少年探偵団(BD7)』は視聴率的に)群を抜いていた。色んな俳優さん(子役)に色んな事件が起きた作品だったんだけどね、(主役7人とも)魅力的なキャスティングだった。小林少年を演った彼(黒沢浩氏)のスケジュールが取れないために、彼を現場で拉致する(その日の撮影が終了しても帰宅・登校させず、宿泊させる)んですよ。日本現代企画の作品って、回転しないと貧しい(苦しい)んだ。制作費的に貧しいんだけど、「クオリティが高いものを創っていこう!」ってことで(一貫して)やっているんで、「低予算のなかで如何にクオリティを高めるか」っていう闘いがありました。その中の“智慧”っていうのは、制作の回転を早くしていくこと。無駄は一切ナシ。だから都内(撮影)の作品(エピソード)をやったら、次は地方ロケの作品(エピソード)っていう風に、交互に組み込んでいって、絶対に(撮影)遅延はしない。決められた日にちに、何が何でも終わらせるんです。徹夜っていうのはないんだけどね(苦笑)、子ども(子役)対象だから(徹夜撮影は)あり得ないんだけど、(期日までに撮影を)終わらせて次の作品(エピソード)に出向いて行く…っていうスケジュールは絶対守らなきゃいけないんです。
だからそのため(撮影スケジュールを厳守するため)には、もう(その日の撮影終了後も子役たちを宿に)拉致するしかないんですよね。「この日には(自宅や学校へ)帰してください」って(子役や親に)言われても、「はい、分かりました」って帰すワケにはいかない(笑)。そんなことの連続でねぇ、そういった痛みで彼(黒沢浩氏)を(精神的に)追い詰めたのかもしれないですけども。そんな(苦い)想い出話がありますが…、でもね『少年探偵団(BD7)』っていうのは『レッドバロン』『マッハバロン』同様、僕の愛すべき作品ですよ。
(一同拍手)
編者註:以下はLD『少年探偵団(BD7)』に特典映像として収められていた“団時朗氏・黒沢浩氏対談”(1998年3月収録)からの情報。黒沢氏によれば、撮影当時15歳(中学3年生)だった同氏は、(過密スケジュールの影響か)いよいよ中学卒業に支障をきたしそうな状況となり、連続4エピソード分(約3週間)の撮影を休んだとのこと。また、当時小学生だったBD7メンバー子役陣の一部は、(“撮影の合間に”か“留め置かれた宿で”かは語られていないが)スタッフに勉強を教わっていたとのこと。当時進学校に通っていたオウム役・内海敏彦氏は、特に長時間ロケバス車中で自主学習に励み、内海氏の母親は撮影現場に同行していたという。
下塚 (『マッハバロン』『少年探偵団(BD7)』『ガンバロン』レギュラーの)内海(敏彦)君って、いましたよね?
鈴木 内海っていう少年は今どうしてるとか、ちょっと知りたい?
司会 皆さん、知りたいと思います。
鈴木 (バロン座談会運営スタッフをはじめ)皆さん(内海氏の行方を)色々と捜索してくれているようですが、彼はねぇ「東大を受けるんだ」って言っていました。東大を卒業してから(その後どうするか)その先は聞いていないんだけど。子役だから気を遣うんですよねぇ、僕らは。でもね、(スタッフ側は)ズルいから、現場で(子役の)台詞をコロッと変えちゃうの。大人の台詞ってあんまり変えないんだけど、子どもの台詞はコロッと変えちゃうの。全く違う台詞にしていくんだけど、(内海氏は)「え〜?」って言いながら「ちょっと待って〜」って2〜3回転がす(暗記した台詞を口に出して確認する)のね。「ハイッじゃぁ本番!」って言ったらね、今までと違う台詞を簡単に諳(そら)んじていく。
素晴らしい記憶の能力を持った、芝居の上手い子ども(子役)でした。僕らスタッフは彼に「役者として大成して欲しいな」という想いがあったんだけど、彼にはそういった(「俳優として大成したい」という)想いはなかったんだね、きっと。もっと“大きな世界”を目指していたってことでしょう。今何をしているのかな? 知りたいね〜。
司会 ありがとうございます。確か『少年探偵団(BD7)』はタイトルロゴを、作家でありシャンソン歌手である戸川昌子さんが手掛けたのも、今となってはかなり凄いことだなと思います。
鈴木 題字を戸川さんに頼んだのはね、(1962年に彼女が「大いなる幻影」という小説で第8回)江戸川乱歩賞を獲ったからですよ。
その後(『少年探偵団(BD7)』メインライターの)長坂秀佳ってのが、(1989年に「浅草エノケン一座の嵐」という小説で第35回)江戸川乱歩賞を獲るんだけどもねぇ。この頃、僕はオーストラリアで『ウルトラマンG(グレート)』を製作していました。長坂は僕の親友なんだけども、彼とは色んな作品をやりましたよ。『少年探偵団(BD7)』は彼と僕との代表作のひとつだよね。
司会 そうですね、その後『(小さなスーパーマン)ガンバロン』と…
鈴木 『ガンバロン』は(メインライターが)上原正三と長坂秀佳ですのでね。
<「子ども達の夢を如何に育んであげるか」が僕らの努め>
司会 もっと色々お訊きたいこともあるのですが、時間が押し迫ってきましたので、最後にお一人ずつファンの皆さんにメッセージをお願いします。まずは『マッハバロン』主役の下塚さん。
下塚 本日はお忙しい中お越しくださいましてありがとうございます。自分の店で(記念イベントを)やるっていうことは、(自分が)スタッフでありゲストであるという、ややこしい立場なんですけど、私の店で(『マッハバロン』40周年記念イベントを)やっていただけたっていうのは本当に嬉しいですし、なによりもこうやって40年経ってもファンの方が支えてくれるっていうのは、本当に有難いです。僕は色んな大人の番組を演ってきたんですけど、(記念イベント・オフ会の類の開催は)一切ありません。実を言いますと『マッハバロン』だけなんです(笑)。こういう子ども番組の良いところというのは、多分なんですけど、僕が「『月光仮面』(のオフ会)とかあれば行きたいな」って思うのと同じように、そういう子どもの時の想い出に裏打ちされた応援だからだと思います。(『マッハバロン』ファンの)皆さんには凄く感謝していますし、共演者とスタッフの皆さんが来てくれて、本当に感動しています。本当に今日はありがとうございました!
(一同拍手)
司会 続きまして、加藤寿さんからファンの皆さんへお願いします。
加藤 今、下塚くんが言ったように、本当にもっと凄い番組って言ったら可笑しいけども、普通の大人の番組、優れたドラマが沢山あると思うんですけど、(ファンの方々が番組スタッフ・キャストを支え続けてくれる作品は)殆どないですよね。やっぱりこういった番組が、子ども相手ということもあるかもしれませんけども、(ファンの方々が番組スタッフ・キャストを愛し続けてくださることに)驚きです。僕らも(バロンシリーズを)やってる時はね、何十年後にこんな世界があるなんて思いもしなかったし、逆に言えば「何か“人が求めるもの”とか“共有できる価値観”っていうものが、どんな人にもあるんだろうな〜」っていう、そういった想いも凄く感じました。何よりも、今日お客さまでいらっしゃった方々、監督、プロデューサー、スタッフ、キャストも含めてね、正直“時代を共有したチーム”みたいに感じています。以上です。
(一同拍手)
司会 続きまして、車さんお願いします。
やはり僕たちが若かりし頃、身体が動けるバリバリの時代にやってきた作品を、こんなに(沢山のファンの)皆さんが愛してくれてるっていうことは、本当に嬉しい限りです。また、他の作品も色んなことも含めて、それらに関しても子どものために全力を尽くしてきたつもりです。やはり僕は子どもを喜ばせるために入った最初の作品が、『(8時だョ!)全員集合』ですからね。それから入って、今まで色んな子どもたちを喜ばせるために、色んな番組に接してきました。それもこれも鈴木清監督のお陰でありますけども、やっぱりここまで頑張って来られたってことに感謝しております。皆さんがそれ(車氏の出演作品群・アクション演出作品群)を今も愛してくれているっていうことが、一番嬉しいです。ありがとうございます!
(一同拍手)
司会 続きまして、石田さんお願いします。
石田 はい、じゃぁひと言だけね。(下塚氏がオーナーを務める)“レモンタイム”をまた今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
(一同爆笑)
石田 (下塚さんに起立を促し)立って、立って! (下塚さんと二人で)よろしくお願いいたします。
(一同拍手)
司会 最後に、鈴木監督お願いします。
鈴木 今、実は僕は横浜の“アンパンマンミュージアム”っていうところでね、子ども達に夢を与える仕事を引き続いてやっているんです。子ども達は、皆ピュアなキラキラ光る目で“夢”や“感動”を求めて、ミュージアムへ来る訳なんですね。それに対して、僕らっていうのは純粋な気持ちで対応してあげなきゃいけない。それが彼らの今後の“成長の糧”になるだろうっていう風な闘いをずっとやっているんだけども。だから僕(の目標や、これまでやってきた仕事の本質)は全然変わってないのね。今なお同じことをやってるだけで。作品は当然変わってるんですけども。だからそういったことでは、車ちゃんも言ってましたし、(ゲストの)皆さんも言っているように、「子ども達の夢を如何に育んであげるか」っていうことは、やっぱり僕らの努めなんですよね。だから、ファンの皆さんが僕らのこんな作品(バロンシリーズ)を今なお40年経っても支えてくれることに、とっても感謝していますけども、皆さんもまた「新しい作品・新しいものに対して、子ども達を勇気づけるような闘いをぜひやって欲しい」と思っています。以上。
(一同拍手)
司会 ありがとうございました。大変お名残惜しいですが、この辺でトークのコーナーをお開きにさせていただきます。皆さま、本日は誠にありがとうございました。
加藤:誕生日を祝ってくださることよりも、昔の(バロン)チーム、(バロンシリーズファンの)お客さまも含めて、同じものを共有するチームの皆さんと、(10月21日の実際の誕生日と)多少日にちはズレても、この時間を共有できる、これが何よりも涙が出ちゃうくらいに嬉しいです。俳優の端くれですから「(涙を)流せ」と言えば流しますけども、シラケるからやめます(笑)。本日はありがとうございました!
鈴木:(涙を)流してよ、流してー♪
加藤:いえ〜(苦笑)、ありがとうございました。(一同拍手)
参加者:『ミラーマン』の第1クールから第2クールくらいまでの間は、鏡京太郎の衣装が毎回違うじゃないですか。凄いですよね。
石田:あれねぇ、スポンサーの要望で…。
参加者:本当に当時の一番カッコいい服を着ているじゃないですか。
石田:毎日渋谷のデパートとか色んなところに連れて行かれて、仕事終わってから連れて行かれて、それが嫌で嫌で…(苦笑)。
参加者:いや、もう(質問に答えてくださって)本当にありがとうございます。「毎回衣装替え」が本当に凄くて(真相を)訊きたかったんです。
僕の(芸術作品の)真骨頂というのかなぁ、とにかく(『マッハバロン』の中では)ララーシュタイン(総統)が主役!…僕にとってはね。これなくしてねぇ、善と悪の象徴が成り立たなかったというくらい、力を込めて創りました。あのねぇ、 悪が強くないと、善って強くなれないの。悪が弱いと善ってのは霞んでしまう。そういう意味では「(ララーシュタイン総統は)素晴らしい悪のヒーローだった」と思いますよ。
2014年10月25日 洋風居酒屋“レモンタイム”にて
写真: 株式会社 kamui

●音速男爵オフ会 出席ゲスト プロフィール(敬称略・順不同)
下塚 誠(しもつか まこと)
1953年9月5日生。兵庫県出身。東京小劇場聴講生を経て、1974年『マッハバロン』で破天荒な主人公・嵐田陽役を好演、大人気を博す。『Gメン'75』『水戸黄門』を始めとする、刑事ドラマ・時代劇への出演多数。現在はラジオドラマなどを中心に活躍中。
加藤 寿(かとう ひさし)
1950年10月21日生。秋田県出身。シルバー仮面、アイアンキングのスーツアクター。『トリプルファイター』ケリー岩崎役、『レッドバロン』坂井哲也役、『マッハバロン』白坂譲司役など、クールで端正なキャラクターを数多く演じた。
石田信之(いしだ のぶゆき)
1950年8月30日生。秋田県出身。『柔道一直線』大沢健二役、『ミラーマン』鏡京太郎役、『どっこい大作』風野三郎役など、ナイーヴな美形ヒーローを好演。時代劇への出演も多い。俳優業の傍ら、自伝「さよならミラーマン」を執筆し、多才ぶりを発揮。
車 邦秀(くるま くにひで)
1951年12月26日生。長崎県出身。劇団“若駒”出身。『トリプルファイター』オレンジファイター、『ガンバロン』などのスーツアクターとして活躍。『ガンバロン』『ウルトラマンコスモス』やバラエティ番組などで、殺陣師として演出を手掛ける。
鈴木 清(すずき きよし)
監督・特技監督・プロデューサー。『レッドバロン』『マッハバロン』メイン監督。初期ウルトラシリーズの撮影で活躍。“日本現代企画”立ち上げに参加し、『アイアンキング』で特技監督を、『少年探偵団(BD7)』『ガンバロン』ではプロデューサーを務める。
杉浦芳博(すぎうら よしひろ)
1949年7月14日生。フォーク・ロックバンド“NORA(ノラ)”でリードヴォーカル・ギターを担当。『マッハバロン』(OP・ED)や『ガンバの冒険』(ED)の主題歌歌手としても活躍。特に『マッハバロン』での神ヴォーカルは、今なおファンを魅了し続けている。
石田 斎(いしだ ひとし)
1948年5月28日生。“NORA”でドラム・ギター・コーラスを担当。T.Rexのマーク・ボランの推薦を受け、前座バンドとして武道館コンサートに参画。2014年7月に復刻された「NORA VOL.1」発表をきっかけに、“NORAブログ”を始動し、その管理人を務める。

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